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ホームスクーリング実践記

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[064]京都大学が山の上に来た件

  

 

童仙房の小学校が統合によって廃校となることが決定したのが、2005年9月です。それによって、わが家が子どもたちの教育をどうするか、おおいに試行錯誤を始めました。その12月、私の妻がじつにバカバカしい、非現実的な提案を思いつきました。「京都大学に、廃校となる小学校で学校を作ってもらったら?」

2万パーセントどころか、2兆パーセントでもあり得ません。

しかし、あり得ない思いつきが、あり得ない現実を生みだすのもまた、世の常です。言ったとおりのことが現実になるというわけではなく、あり得ない思いつきに基づいて行動を始めると、それまでなかった縁が生じたり、展開が生まれたりするものです。少なくとも、じっとしていて何かが動き出すことを期待する方が、2兆パーセントをはるかに超えて、宇宙の果てを突き抜けてもあり得ません。

というわけで、「あり得ない主義者」の私は、同じく、あり得ない発想が好きな知人を介して、京都大学大学院教育学研究科の前平先生の研究室を訪れました。前平先生に初めてお目にかかった記念日です。妻のあり得ない思いつきから1カ月も経過しない、2006年1月10日のことでした。

あり得ない発想から、あり得ない行動をすると、あり得ない展開が生じるものです。

私は、てっきり前平先生から門前払いをされるものと思っていました。次の行動のヒントがつかめれば大成功だという気持ちでうかがったので、「考えてみましょう」という、前平先生のあり得ないお返事に、私はあり得ないほど驚きました。

しかし、事態は、あり得ない速度をあり得ないほど加速しつつ、あり得ない展開が進んでいきました。

前平先生に初めてお目にかかった1〜2週間後には、京都大学大学院教育学研究科として童仙房になんらかのフィールドを立ち上げることが了解事項となり、2月14日には私が大学院生たちに、童仙房について紹介する機会をいただき、童仙房の地域役員たちも、廃校によって過疎化が進むことは避けたいので、どんどん話を進めよ、ということになり、2006年3月2日-3日、京大から8人が、初めて童仙房を訪れ、1泊し、地域役員とも初顔合わせをし、意気投合しました。なにをするのかわからないけど、ぜひ、いっしょにやっていきましょう、というノリでした。

京都大学大学院教育学研究科長名で、南山城村長宛に、廃校を活用して地域とともに生涯学習活動をしていきたいという「要望書」がつくられ、3月7日にはそれを私があずかり、翌3月8日に私は地域役員へその要望書を渡し、翌9日に、地域役員は村長へ提出しました。

妻のあり得ない思いつきから3カ月足らず、前平先生に初めてお目にかかってからでも2カ月足らずのことでした。そして、その時点ではまだ、地元の小学校は廃校となる前でした。

あり得ない展開に、村長はついていけずにいたところ、地域役員は、地域主導で進めるといって、4月以降、廃校となった小学校の鍵を地域であずかり管理するようになりました。

4月29日には、前平先生や大学院生が、地域住民と寄合をもちました。京都大学という、大きな組織がこんな小さな地域に関わるということで、地域住民は、何かとてつもないおみやげをもらえると期待したようです。前平先生は、京大が何かをするのではなく、地域とともに地域のことを考えていきたいという意向を前面に出されていました。京大が主役ではなく、地域が主役なのだ、という「京大の謙虚さ」に、地域住民はいらだってさえいたようです。

私は、まさに、それこそが、田舎が衰退していく核心部分であると、考えていました。国や行政が手当をしてくれることを期待し、求める。悪いことではありませんが、いつしかそれは、「自分たちには何もない、何もできない」という意識を育ててしまいます。

前平先生のこのスタンスは、まさに地域にとって最も必要な視点ではないかと、そのとき強く感じました。

と同時に、わが家が長男を通じて再確認したパラダイムでもあるのです。

まだこの時点では、地域は、「京大が何かをしてくれるのではないか」という期待を捨てきれずにいたようです。

2006年6月23日、京大から、前平先生と、当時の教育学研究科長さんが童仙房へおこしになり、地域の役員とともに、「野殿童仙房生涯学習推進委員会」をたちあげ、活動していくことの協定書へ調印するという式典を、地域住民も参加し、廃校跡の体育館で行いました。新聞各紙に記事が載り、マスコミデビューでもありました。

あり得ない思いつきから半年でした。

この協定じたい、じつにあり得ないものなのです。大学と地域の連携がなされる場合、地域とは行政かあるいは行政がからむ組織であり、私たちのように、大学と地域コミュニティが直接協定を結ぶケースは、きわめて稀(もしかすると唯一?)です。さらに、今日にいたるまで、行政から公的支援をいただいたことは一度もなく、完全に自立した活動となっています。

前回書いた、長男の変容の時期と、まさに時を同じくしていたのです。

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