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ホームスクーリング実践記

ホームスクーリング実践記

[069]姿の見えない敵

  

 

学校に行っている子たちから、うちの子がホームスクーリングをうらやましがられることがしばしばあります。学校にある「抵抗」がよほどしんどいのでしょうか。

ホームスクーリングに抵抗がないように見えるのは、甘すぎると言わざるを得ません。もしも、ホームスクーリングにさしたる抵抗が存在しないのだったら、いまごろうちの子たちは壊れてしまっています。

学校教育にある抵抗は、主として外的環境です。学校教育というシステムが最適化して調度してある抵抗です。抵抗を受ければしんどさや辛さを感じるのは当然です。でなければ、抵抗になり得ません。

ホームスクーリングには、外的な環境の抵抗はあまりありません。設定してもよいのですが、私は外的な環境にはあまり前向きではありません。つまり、勉強を強いたり、試験や評価を行ったり、スケジュール管理をしたり、競争させたり、ノルマを設定したり、というようなことです。

学校教育では、抵抗がちょうどいい具合に作られているので、ぶつぶつ文句言いながらでも勉強を進めていけます。抵抗の最たるものは、試験や成績や受験でしょう。

ホームスクーリングでは、試験も成績も受験もありません。そこへ関連するさまざまな抵抗もありません。学校に行っている子から見て、パラダイスに見えるとしても無理はないのかも知れません。

学校でなら、自動的に勉強が進んでいくはずのところ、ホームスクーリングでは、そうはならないのです。「なんのために勉強をするのか?」を問い、その答えを自ら見出さねば、そもそも勉強が成り立たないのです。学校教育では、「なんのために勉強するのか?」に対する答えがなくても、勉強が進んでいきます。そもそも、そんな問いを持つ必要すらありません。

勉強を進めていく外的な抵抗がないので、進めるには、内的な抵抗が必要です。つまり、ホームスクーリングでは、「なんのために勉強するのか?」を真摯に問い、自ら答えを見出さねば、前に進めないのです。

これは、たいへん大きな抵抗ですよ。

幼い子どもにそんなことを求めても酷だろう、という意見もあるでしょう。私は子どもだから無理だ、という育て方はしません。世界には、とことん過酷な環境で生きていかねばならない子どもたちが大勢います。そういう子たちが、子どもだからと厳しさを免除されるわけではありません。

誤解されそうなので、じっくりお話しした方がよさそうです。

親として、全力で子どもを守ります。愛します。支えます。外的な抵抗よりも内面の抵抗の方がはるかに過酷なので、親が外的な抵抗を調度することで、内面の抵抗を少なくし、無くしていくことができます。多くの親は、無意識のうちに、そうしているでしょう。

私は、外的な抵抗をなるべく調度しません。すると、どうしても子どもたちの中に、内面の抵抗が生じざるを得ません。内面ですから、親といえど他人がどうにかしてやることはできません。子どもが、自分で真摯に向き合うしかないのです。

それこそが、「自分で自分の人生を生きる」力を育てることだと考えています。

抵抗とは、前へ進める原動力ともなりますし、まさにあらゆる成功を生みだす打ち出の小槌でもあります。抵抗があればあるほど心地良く感じるということも、珍しくありません。スポーツの激しい練習、研究や勉強への没頭、技術の習得のための努力など、しんどいはずのことがさわやかな快感として経験されたことが、どなたにもあるでしょう。

さて、親の大事な仕事を忘れてはなりません。子どもが内面の敵と闘うのを、横で応援するだけではダメです。親自身が、自分の内面の敵と闘い、その力でもって前へ進んでいかなければ。背中を見せるのです。

「なんのために勉強するのか?」という問いへも、親自身が必死に取り組み、親なりの答えを見出す。それを子どもたちに教え、示すことはできます。しかし、他人の見出した答えをいくら聞いたところで、子どもたちにとっての答えにはなりません。自分で見出して自分でつかまなければ、前へ進む力にはなりません。たとえ、結果的に親が示した答えと同じものにたどりついたとしても。

子どもたちは、常に内面の抵抗と闘っています。それを、忍耐強く見守ることもまた、親としての内面の抵抗なのです。

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