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ホームスクーリング実践記

ホームスクーリング実践記

[070]行く末

  

 

うちの子たちは、ホームスクーリングですが、地元の小学校と中学校に在籍しています。とはいえ、入学式から卒業式まで、いちども登校したことはありません。

子どもが入学のつど、小学校の校長先生か教頭先生が「どうされますか?」と尋ねてくださいます。「いつもどおりで」「はい、わかりました」って、こんな感じです。
小学校の先生は、毎年、春と秋に教科書を届けてくださいます。「行政も学校も、義務教育のつとめをはたしているのに、家庭がかってなことをしている」という形です。わが家は形式的な部分はどうでもよいので、それでうまくいくならそれでよし、というスタンスです。小学校は登校を無理に勧めはしませんが、いつでも門戸を開いているというスタンスです。小学校の先生方には、イレギュラーなわが家に良くしてくださっていると感謝しています。

1年前、長男が中学生になるとき、中学校はぜんぜんわが家の状況を知らなかったはずですが、小学校からの継続のような形で、一度だけ、私と長男が中学校へ行き、校長先生、教頭先生、教務主任の先生、1年生の担任をまじえ、わが家の方針を確認しました。小学校とまったく同じ形で、わが家に接してくださっています。

先日、中学校の先生からわが家へ電話がありました。

「2年生からはどうされますか?」
「同じ形でお願いします」
「3年生も同じでしょうか?」
「さあ、子どもの気持ちが変わるかも知れませんので、それはなんとも・・・」
「では、毎年、確認させて頂いた方がいいですよね?」
「いえ、うちが勝手なことをしているのですから、話が変わるときには、こちらからご連絡を差し上げます」
「それはそれはどうも。この先はどうお考えなのでしょう? 高卒検定試験で大学へ、とか?」
「それも1つの選択肢ですが、本人が大学へ行きたいと希望すればの話ですね」
「じゃあ、自営業でがんばられるとか?」
「それも1つの選択肢です。逆に、ホームスクーリングだけで学び通せば、そのような人材を欲しがる会社もあるかもしれませんし」
「へ〜!! たしかにそうかもしれません。でも、考えつかなかったなぁ」
「海外留学という選択肢もありますし」
「へ〜!! そんなことまで視野に入れておられるのですか!」
「ええ。どんなことでも、選択肢です。本人が何を望むかしだいです」

というような会話をしましたが、中学校の先生は、このような前提があったようです。
・中学校に行かなければ、高校受験はない
・高卒検定を受けるしか大学への道はない
・大学を出なければ就職はない

これは、ほとんどの親も同じような感覚があるようです。
  高校→大学→就職

まあ、それはそれで1つの選択肢ですが、唯一の選択肢ではありません。たくさんある選択肢の中の1つに過ぎません。実際のところ、上の会話にあげた以外にも、いろんな選択肢があります。

ところで、[HSその63]で紹介した『選択の科学』には、興味深い「ジャム実験」があります。スーパーマーケットでおこなった実験により、ジャムの品揃えが豊富なときより、品揃えが少ない時の方が、お客が実際にジャムを買う確率が高かったのです。それをきっかけに著者は研究を深め、人間が処理できる選択肢は7つまでという結論を得ました。

著者は、こうしめくくっています。
「選択は、人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。選択の力を最大限に活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならないのだ」

不確実性と矛盾を受け入れることは、選択に対して、責任をもつことにほかなりません。科学で制御できるなら、結果を予定できるので、責任を持つ必要はありません。責任を持つ必要がない行動には、「人生を変える力」はありません。選択肢をだれかに7つ以下に絞り込んでもらって、その範囲内で責任を持つ、というやり方もあるでしょうが、中途半端です。

自分の人生を生きるということは、自分に関わる選択肢のすべてについて、責任を持ちたいです。たとえ7つを大きく越えようとも。

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