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ホームスクーリング実践記

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[071]俯瞰

  

 

7つを越える選択肢を人間はうまく扱えません。一度に7つを越える情報を扱うことができないといってもいいようです。認知科学者の苫米地英人さんも、だいたい同じようなことを言っています。

苫米地さんは、たくさんの情報を記憶するために、7つ以下の要素数となるようにカテゴライズする方法を説いています。[HSその18]前後でお話しした「パターン思考」はそういうことなのです。人間にとって処理可能な形態、つまり7つ以下の要素数となるように情報を再構築することです。

これは、「複雑なことがらをシンプルに理解する」とお話ししましたが、じつはこの説明だと、誤解を生むと思います。いろんな情報をそぎ落として単純化するということは、多様性を単一化することであり、唯一の正解、唯一の正義へ収れんさせようとする、たいへん危険な思考法です。

パターン思考が目指す単純さは、単一化ではなく、俯瞰なのです。情報を減らすことではありません。多様性を減らしては意味がありません。かといって、たくさんの情報、つまり多様性に、真っ正面から立ち向かったところで、人間の処理能力をオーバーフローしてしまい、けっきょく何もわからず何もできないということになってしまうでしょう。多様性に対してどうすることもできず、競争して勝つしかない、というパラダイムに陥ってしまうのも当然かも知れません。

パターン思考のモデルは、ツリー構造、つまり、木が枝を茂らせるような構造です。1枚1枚の葉っぱを見ていれば、わけわかりません。でも、木全体を、少し離れたところから見れば、どうでしょう?

1枚1枚の葉っぱも、枝も幹も根も、それぞれがうまく全体を成り立たせています。それぞれがそれぞれなりに居場所があり、役割があります。これが、俯瞰です。

多様性をいっきに把握するには、個々をバラバラに追求してはどうにもなりません。ツリー構造に再構築した上で、全体を俯瞰する。すると、矛盾や対立が、溶けてきます。困難な問題が、違う見え方をしてきます。

成績上位の受験生は、たぶん、しぜんとこのような思考法をしているはずですが、パターン思考も、その枠組みの大小があります。最も大きくするとなれば、宇宙全体、この世のありとあらゆる情報を扱うこととなります。ちょっとそれは不可能ですね。

自分がアクセスできる情報や知識や経験について、パターン思考するしかありません。それなら、情報や知識や経験を増やせば増やすほど、パターン思考の枠組みが大きくなるはず。これこそが、私の考える「勉強する意味」なのです。

パターン思考の枠組みを大きくするには、「学校の勉強」が不可欠なのでしょうか?
学校の勉強もおおいに役立つでしょう。パターン思考の枠組みを拡げるという観点に立てば、生涯、活用しそうにない微分積分、行列、世界史の微細な事項、物理の法則、古典文法、「ラ行変格活用は、あり・おり・はべり・いまそかり」などという意味不明な呪文、それから日本史(いや、NHKの大河ドラマを鑑賞するために役立つかも知れません)といった、無意味に見える教科学習が、じつはパターン思考の拡大をつかさどる重要な役割を果たしていると気づくことになります。

しかし、この世の多様性は、学校の勉強がすべてではありません。学校の勉強がからっきしダメでも、そもそも勉強する機会さえない人たちでも、生きている以上、さまざまな経験をしたり、情報にふれたりしています。俯瞰の枠組みを拡大するには、合理的なものより、大きな矛盾や困難こそが役立ちます。解決できない困難な問題を抱えていれば、俯瞰の枠組みを拡げざるを得ません。もっとも、競争と闘いに明け暮れるなら、俯瞰を拡げる必要などありませんが。

この世で、無駄な情報や経験など何もないはずです。多くの人は、「私は何も知らない」「私は何もできない」「私には何もない」などと言いますが、そんなことはありません。どんな人生であれ、生きてきた以上は、多様な経験や知識を重ねています。それらを手がかりに、パターン思考の枠組みを拡げ、俯瞰していけるはずです。難しいスキルではありません。むしろ、学歴のない素朴な人の方が、エリートよりも俯瞰の目をもっていたりします。

では、パターン思考の枠組みを大きくすることで、どんないいことがあるのか?
もちろん、学歴うんぬんは、何の関係もありません。
わが家の教育目標は「自分で自分の人生を生きること」です。
今までお話ししてきたすべては、この一言に収れんされます。
ホームスクーリングを7年間やってきて、見えてきたのは、まさにこれなのです。
「自分の人生」とは、どうやって見出すのか?
俯瞰の目と、どうかかわるのか?

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