子どもたちにとって最も良い学びのあり方を求めて

モモナナじぇーぴー

メイン
ホームスクーリング実践記

ホームスクーリング実践記

生きる

  

 

ホームスクーリングは、「自分の意志に関わらず与えられるものの大半を取り除く」という実践です。学校教育では、勉強や生活に関する大部分が、自分の意志に関わらず与えられます。

ホームスクーリングを長く続けていけば、何のために勉強するのか?という問いが避けられません。試験も成績も受験も進学もないなら、この問いは、「生きる」ことへの問いに他ならず、逆に言うと、生きることへの問いだけあって、「何のために勉強するのか」という問いは、そもそも存在しないと言っていいのです。

「何のために生きるのか」という問いは、古今東西、あらゆる人々が問い続け、いまだに「正解」が示されていないでしょう。

ホームスクーリングを長年やっていて気づきます。「何のために生きるのか」という問いさえないのではないか、と。無いはずの問いを求めても、そもそも答えなどあるはずもない。そこから導かれるのは、「なんのために勉強するのか」という問いさえ無く、その答えもあるはずない、ということです。

「自分をさがす」「自分を見つける」「自分の夢を見つける」「自分の希望を見出す」「ほんとうの自分」

これらはすべて、無いものを追い求めているのではないかと思えます。自分の外部から、いろんなものが与えられていると、何か答えがあるかのように感じてしまうのかも知れません。とことん、与えられるものを除けば、ほんとうに、何もない。

では、生きるって、何なのか?

「自分を定義すること」ではないかと強く感じています。

上の言葉も、「自分を定義する」「自分の夢を定義する」「自分の希望を定義する」「ほんとうの自分を定義する」と言い換えれば、落ち着きます。

「○○になりたい」とか「○○したい」とか「○○がほしい」という定義は、なりたい自分、したい自分、ほしい自分を定義しているので、それを望み続ける人生(つまり、いつまでも夢みる人生)を創り出すでしょう。

「ダメだ」「できない」「わからない」「難しい」「どうせ・・・」という定義は、できない、わからない自分を創り出すでしょう。

子どもをほめて育てることの大切さは、自己定義に関わる部分ですが、そうも話は単純ではない。あまり安易にほめられすぎると、懐疑的になってしまい、できない自分を定義してしまうかもしれません。「あんたはアホやから、しっかり勉強しいや」という声かけは、「アホな自分」を定義してしまうかもしれません。かと思うと、その言葉に反発し、「偉大な自分」を定義するかも知れません。

自己定義は、こうすればこうなるという、手順書で創りあげることが不可能です。

自己定義がなされれば、行動がしぜんと定義に沿ったものになっていくはずで、迷うことも、不安を感じることも少なくなっていくでしょう。[HSその51]で書いた、マゾヒスト思考・行動は、自分が望む状態を自己定義していないから生じると考えれば理解できます。

選択は力であるとよく言われますが、選択は責任と意志を伴ってこそ可能となるのであり、自己定義に他なりません。

自己定義をすれば、どんなことでも可能になるのか?なんて質問は愚かです。だって、自己定義の答えを他者に求めているではないですか。すでに自己定義ではありません。

自己定義せず、外的環境が自分の望むように動いてくれて、満足と幸せがどんどん大きくなるなんて、そんなことを望む方が、どうかしていると思います。自己定義をだれかが与えてくれるとか、どこかに答えがあると考えるのも、同じことです。

どこにも答えはありません。
私はこのような人間であると、私が決める。それだけです。そう決めれば、勉強に対するスタンスも、しぜんと決まってきます。
困難な状況、絶望的な状況があったとしても、神様かウルトラマンがやってきてどうにかしてくれる、と望んだところで、たいがいはどうにもなりません。だって、「絶望を受け入れる自分」を定義していますから。そうではない状況を創り出すような自己定義をしてこそ、道は拓けるでしょう。

それは、難しいことでしょうか?
そうかもしれません。
でも、少なくとも、自己定義には、お金も学歴もスキルも教養も経験も人脈も体力も精神力も何も必要ありません。
それでも難しいでしょうか?

では、自己定義できない私はどうすればいい?
それは、「自己定義できない私」を自己定義していませんか?

自己定義したところで、すべてが決まってしまうわけではありません。そのような人生を創り出すには、あらゆる抵抗や障害があり、道を拓いていくという行動が必要です。それこそが、「生きる」醍醐味であって、「生きる」ことに他ならないのではないでしょうか。

道を拓くには、より広く世界を俯瞰したいはずです。あらゆる勉強が生きてきますね。あり・おり・はべり・いまそかり・・・

さあ、長く続いた連載もこれで最終回です。
自己定義は、学校教育もホームスクーリングも関係ないはずです。あなたが、あなたの望む人生を描きあげることを心より望んでいます。

前へ前へ  TOPTOP