世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

どたんば哲学

[003]あゝ開拓地

  

 

400メートルほど山道をあがったところに、忽然と姿を見せた謎の集落。いまだかつて、経験したことのない感覚だった。なぜ、山の上が平らなのか。なぜ、山の上に集落があるのか。なぜ、目の前に子どもたちが歩いてくるのか。

子どもたちは、私を見るなり、言った。

「おにいちゃん、ウイリーやって!!!」
(ウイリーとは、馬のいななきのごとく、バイクの前輪を浮かせて、後輪だけで走行するテクである)
「あほか。ナナハンでウイリーなんかできるか」
「これ、ナナハンやの?」
「せや、泣く子も黙るナナハンやで」
「おにいちゃん、名前、なんて言うの? あ、ぼくな、○○っていうねん。こっちは妹の○○や。ほんでな、こっちは○○で、あっちは・・・」
「そうかそうか、おっちゃんはな、内藤というねん」
「おっちゃんて? まだ若いやんか」
「そうか、せやろ」
「おにいちゃん、どこから来たん?」
「大阪や」
「何しに来たん?」
「住むとこ探して、たまたま登って来たんや」
「え?ここに住むの?」

え?
ここに住む?
こんなとこにか?

この子たちはいったい何者なんや?
こんな子どもは都会にはいてへんで。
ここはいったい何なんや?
ほんまに、この世かいな。

この、常識はずれな集落と子どもたちは、私に衝撃を与えた。けたはずれに大きな可能性を秘めた土地ではないか。田舎暮らしなどどうでもよい。私が欲しかったのは、けた外れに大きな、非常識な可能性なのだ。その時には、そう理解していた。

「おもろいな。ここに住めるか?」
「ほんまに? 住んでくれるの?」
「おお、気にいったで。ここに住むわ」

即決である。
私は、童仙房に住もうと決めた。
もちろん、知り合いなどいない。親戚もない。縁もゆかりもない。だからいいのだ。大いなる可能性を求めていけるのだ。

毎日のように、童仙房へ通った。みかける人に、ずうずうしく話しかけた。
「ここに住みたいんですけど・・・」
まず、アホかいなと思われた。アホでないならキチガイだ。
しかし、アホも繰り返せば真実みを帯びてくる。

やがて、地域の人たちが、いろいろと教えてくれるようになった。

この童仙房というおもろい名前の集落は、明治時代初期の開拓地だ。江戸時代には、人が住んでいなかった。田舎のくせに、たかが140年ほどの歴史しかない。いちばん古い家でも6代ほどだ。

何もない原野を手作業で開拓し、食うものも食わず、着るものも着ず、寒さと飢えをしのぎ、艱難辛苦にたえて、歴史を刻んだ。まるで、アメリカだ。

すばらしい!!
これこそ、求めていた地だ。
私は、退屈な安定が欲しいんじゃない。血湧き肉躍る感動が欲しいんだ! この手で歴史を作りたい!!
どんな歴史?
それは、未来のことだからわからない。

童仙房という土地は、過去に、自らの手で歴史を作り上げてきた。きっと、これからもそうするのだろう。私もそこへ参加させて欲しい。

都会で生まれ育った私にとって、田舎は未知だ。どんな問題があり、どんな困難があり、どんな障害があるか、わからない。が、ノープロブレム。
開拓者たちに思いを馳せてみよう。彼らは、未知を怖れたか? 怖れたなら、撤退しただろう。開拓を貫いて、今日がある。

人間にとって、最も怖ろしいものは、未知かもしれない。

開拓とは、未知との闘いだ。

す・ば・ら・し・い!!!!
体中の血が沸騰しそうなほどの興奮を覚えた。

何度も童仙房へ通い、区長さんと面識ができた。区長さんは、どこの馬の骨ともわからぬ若造の話をまともに取り合ってくれた。親身に応じてくれた。区長さんは言った。
「親戚に、土建屋がいる。童仙房内だ。土方をする気はあるか?」

「はい! 土方は大好きです!!」

土方はおろか、まともに土いじりさえしたことのない私は、勇んで即答した。
童仙房へ住むという道が、ぐんぐん現実味を帯びてきた。

かたや、都市に住む私の親、知人一同、百人が百人とも、「気が狂ったのか、絶対無理だ!!」という反応だった。

これでよい。キチガイは、大きなことを創りあげるための必要条件である。私はうれしくてしょうがなかった。

さて、童仙房へ住む、というこの流れにおいて、どたんば哲学が作動したことをお気づきでしょうか?
「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

何もない、どうしたらいいのかわからない、そんな状況を打開したのは、まさに、この、どたんば哲学に他なりません。

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