世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[004]土方見習い

  

 

年が明けて、1991年のまだ寒い頃、区長さんが紹介してくれた地元の建設会社の社長さんに会いに行った。私が、大学を出ていながら、都市からわざわざ田舎へ移住して土方をしたいと言っているのが、不思議そうだった。たぶん、土方をしている人たちには、コンプレックスがある。いっぽう、国土のインフラをつくってきたのは、ほかならぬ土方たちである。誇り高き職業ではないのか。

私は、そのようなことを申し上げた。

社長さんは、前向きに話を進めてくれた。まずは移住にさきがけて、土方をしてみたらどうか、とのこと。もっともな話だ。

6月から、土方に参加した。大阪から、毎日、バイクか軽トラで、片道2時間を往復した。国道163号線バイパス工事、三重県島ヶ原地内の橋台が最初の現場だ。

私は、土方の経験などない。セテーボーイなので、移植ごてを使ったことはあっても、スコップなど使ったことはない。ツルハシという道具を写真で見たことはあるが、実物を見たのは初めてだ。スコップに角スコと剣スコの違いがあるのも初めて知った。コンクリートがどんなものであるかも初めて知った。「コンクリートを打つ」という言葉も初めて知った。あらゆる電動工具、発電機、コンプレッサなど、すべてが初体験である。

これは、「土方体験」ではない。仕事である。やはり、現場は危険でもある。「初心者だから」は通じない。現場に入れば、即、職人としての自覚とスキルが求められる。(ああ、この感覚は、編集も同じだった。「初心者」はいっさい通用しなかった)

もちろん、体も、土方型ではない。セテーボーイ型だった。1日の作業は、か・な・り・しんどかった。最初の1週間ぐらいは、体がバラバラになりそうだった。

今の私は、都市から田舎へ移住した人を大勢知っている。しかし、私の知る範囲で、土方を生業とした人はいない。いろんな職業があるし、いろんなライフスタイルがあるが、田舎の基本中の基本である土方はカヤの外である。私は、都市の人がかえりみない土方に突入したのだった。

もちろん、現場では、学歴など、まったく関係ない。地元の人すべてが、私の大先輩である。みな、優しい方ばかりだったが、仕事においては、一生懸命である。あたりまえだが。だから、私は最下級の一兵卒であり、先輩方の指導と指示をいただきながら、来る日も来る日も、泥だらけ、コンクリートまみれになった。

私は、うれしくてしょうがなかった。だれもやらないだろうということをやり抜いていくのは、えもいわれぬ快感だった。

とはいえ、しんどかった。

先輩方は、私が3日ももたずに逃げて帰るだろうと思っていた。

4日目も、同じように現場に行った。

先輩方は、10日は持たないだろうと思っていた。

11日目も、同じように現場に行った。

先輩方は、1ヶ月は無理だろうと思っていた。

1ヶ月たった翌日も、同じように現場に行った。

やがて、社長さんも、先輩方も、見る目が変わってきた。あいもかわらず、何も知らず、何もできないド素人ではあったが、続いている。そろそろ私が本気で田舎に住む気があるとわかってきたように見えた。

土方を初めて3ヶ月、ある日、社長さんが言った。

「童仙房のいちばん奥に、平らな地面を造っておいたから、何でも好きなもん建てて住んだらええで」

たくさんのお金がないことと、長期間田舎で暮らすことがイメージできないため、一生住める家ではなく、プレハブをつないで家のように仕上げるという形を考えた。大工さんに相談すると、「そんな家はつくったことがない。ノーベル賞もののアイディアやなぁ」と言われた。

土方を続けたこと、それによって、地元の人たちと絆を持てたこと、スムーズに田舎へ住める道が拓けたこと。どたんば哲学です。
「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

秋になり、冬になり、厳寒の中でも、土方を続けていきました。山奥の林道開設工事。じっとしていられないほどの寒さ。セテーボーイにはこたえました。

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