世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[007]逸脱から、世界が変わる?

  

 

石の上にも三年。土方、三年。自然な流れで、次のステップへ。

ボチボチ、世間で、「田舎暮らし」という言葉が広まりつつあり、肯定的に田舎が見られるようになってきた。

私が田舎へ移住しようとしたとき、私の知人たちは、100人が100人とも、全否定であった。ましてや、土方になる。だれも理解などしなかった。気が狂ってしまったという扱いだった。

それから三年。私は、まるでヒーローだった。田舎で暮らし、土方をしているということが。全否定した人たちが、肯定的に評価し始めた。そして、新しく出会う人たちは、まず例外なく、私を良いように言った。

田舎に住んでいることがうらやましい。難しいことをよくやり遂げた。自分の夢を実現させたのはすばらしい。土方をやっていることさえ、素晴らしいと言われるようになった。

人の評価って、いいかげんなもんだ。そしてまた、こういった私への評価が、ほぼ全面的に間違いであることも、私をしらけさせた。

私は、田舎にあこがれて田舎暮らしを始めたのではない。田舎暮らしが夢でも目標でもない。住むところは田舎でも都会でもどっちでもよかった。そんなものは大事な問題ではない。

私は、自分が生きている間に、世の中が大きく変わる時を迎えると思っていた。それはそうだろう。何十年も、世の中が変わらず、同じままなんてことはあるはずない(バブルの頃は、ばかげたことに、大のおとなたちが、「今」の世の中がずっと続くと信じていた)。じゃあ、どう変わるのか。そいつは予想しにくいが。

私は、未来へ生きたかった。安定などどうでもよい。新しい未来へ参加したいと思っていた。今の時代がイヤなのではない。自分の生涯を、大きなことに使いたかった。

そのために、「今、目の前」にフォーカスし、今、目の前を大事に生きていこうと思っていた。目の前に田舎があり、目の前に土方があった。それだけのことだ。それ以上でも、それ以下でもない。

土方をしてきた3年は、ほとんど外の世界にでなかった。自宅と、近所と、現場と、買い物。行動範囲は、それだけ。

次のステップは、外の世界にでたかった。新しい世界は、かならず、中央ではなく、末端、それも、逸脱から始まるだろう。

私は、出版社勤務のころから、「登校拒否(1995年ごろまでは、不登校を登校拒否と呼んでいた)」の事象に関心をもっていた。いろいろと調べてもいたが、当時は事例が少なく、整理もされておらず、公にもあまりなっていなかった。

私が子どもの頃にはなかった事象が、生じてきたのは、なぜなのか。私が子どもの頃と、何が変わってきたのか。当時は、登校拒否児童に問題があるとされていた。それはおかしいだろう。なにか、原因があるはずだ。もし、児童に原因があるなら、児童を「治療」すれば改善するはずだ。だが、「治療」しようとすればするほど、問題が悪化するケースが多かった。

私は、確信はないものの、なんとなく感じていた。

登校拒否は、子どもの問題ではない。たぶん、学校の問題でもない。社会に大きな変化が生じつつあって、そのひずみが現れているのではないか。じっさいのところ、なんだか、世の中がぐんぐんそれまでとは変わってきている。

出版社勤務以降ずっと、登校拒否への関心は続いていた。いつか、積極的にかかわろうと思っていた。土方が一区切りつき、その時だと思った。そして、目に前にあった、新聞をみた。

私は、新聞にでていた、「学校に行かない親と子の会」の大阪と京都に参加した。登校拒否渦中の当事者である母親(一部、父親も)がご自身の状況を語るのだが、とても話が重い。泣き出す人もいる。本人は想像以上に苦しんでいる。それを、世間は、「甘やかし」だと責めている。どう見ても、親や子に問題がありそうに見えない。

そこの参加者の1人、過去にお子さんが登校拒否を経験し、日本初のフリースクールへ通わせた、という人に会った。

その方から、フリースクールの情報をいただき、大阪、京都、奈良のフリースクールを順に訪ねた。登校拒否児童にも数多くあった。

やはり、世間は誤解している。登校拒否児童たちは、学力も、社会性も、人間としての資質も、劣っていないし、問題もない。「学校に行っていない」という事象のどこが悪いのか、さっぱりわからない。

明らかに問題があるとわかるのは、「学校に行っていないというに過ぎないことを、本人と親が、悪いことだと思っている」ことだ。その一点が、深刻な問題を引き起こしている。

そもそも、学校とは何なのだ?

私は、普通に学校へ行っていた。大学も出た。で、それが何?

登校拒否にかかわればかかわるほどに、起きつつある変化が見えてくるように思われた。

当時、登校拒否への対応は、「心理学的アプローチ」ばかりだった。それは、本人に問題があるという前提によるものなのだろう。私は、大きな違和感をもっていたが。

ちょうどそのころ、阪神大震災が起きた。1995年1月17日。
その後の私の人生の、大きな節目となった。

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