世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

モモナナじぇーぴー

メイン
どたんば哲学

どたんば哲学

[008]そうだ、大きく動こう!

  

 

1995年1月17日、阪神大震災。
関西を、大きな揺れが襲った。そのとき、私は、童仙房ではなく、大阪の親元にいた。家はなんともなかったが、家の中のものはすべてひっくり返った。ただごとではないと、テレビをつけたが、神戸の震度はなかなか表示されなかった。

東日本大震災では、地震そのものの被害はそれほどではなく、津波の被害が甚大だったが、阪神大震災では、地震そのものの被害がすさまじかった。街の壊れ方が、この世の姿ではなかった。

そのときの私は、土方を休止し、登校拒否(1995年ごろまでの呼称。現在で言う「不登校」)に関する研究と、自分の道を模索しているところだった。はっきりいうと、ニート状態だった。

地震の被害がテレビで繰り返し写されるのを見て、「自分がなんとか力になれないものか」とイジイジし、とうとう、地震発生から9日目に、粉ミルクとおむつとかぜ薬を入れたリュックをかついで、ひとりで被災地へでかけた。様子を見てまわり、もってきたものを避難所に渡して帰った。報道とあまりにちがう実情に、言葉もなかった。

それ以降、2月〜4月、数カ所の避難所でボランティア活動に従事した。阪神大震災、つまり1995年が、わが国のボランティア元年と言われる。それまでボランティア活動というのは一般的ではなかったが、1995年以降、多くの人が普通に意識する言葉となった。阪神大震災当時、大規模なボランティア活動、個人のボランティア意識、その組織化など、あらゆることが手探りだった。

問題や課題が噴出し、「あのボランティアは失敗だった」という評価もある。しかし、間違いなく言えることは、それがボランティアのスタートとなったということである。

多くの若者たちが被災地で活動した。多くの人が死傷し、家族を失い、家を失った現場で、「自分探し」を目的としたボランティアをするのは、良くない。被災地の方々を傷つける。いっぽうで、被災地では多くの人手を必要とした。あきらかに、行政だけでは間に合わない。どんな動機にせよ、彼らは、動いた。そして、良くも悪くも、彼らは被災地で、仕事をした。そして、被災地は復興へ向かった。

私は、その過程で、強く感じた。このような活動は、参加した人の人生を変える。とくに、若い世代の人生を。

必死に、お手伝いをさせて頂き、自分の無力さをつくづく感じ、全力をあげてもほんのわずかのことしかできない。その、「ほんのわずか」が無数に積み上がると、悲惨な現場が、変わっていく。世の中は、変わる。変えられる。自分は小さな存在だが、大きな事ができる。これは、「自分探し」などではない。「探すべき自分などどこにもないことに気づく」ということだ。そして、見つけるのは、「青い鳥」ではなく、「未来と可能性」だ。

当時は、登校拒否児童に対しては、心理学的アプローチが中心だったが、どうも違うのではないかと感じた。多くのケースで、登校拒否児童に問題があるわけではないので、本人に対して「治療」したって、多くの場合、的外れだ。彼らは、おおむね、高い能力を持ち、高い社会性を持ち、大きな可能性をもっている。ただ、学校という限定された場が、彼らの活躍の機会を提供していないだけではないか。

ボランティア活動は、学校教育とは、まったく異質な空間だ。学校が抱える問題を全て解決するとか、学校はいらないとか、そんな極論を言うのではない。ただ、学校以外の様々な活動の場がもっと必要なのではないか。

私が子どもの頃は、高度経済成長からバブル景気に向かう頃で、ほぼ学校教育だけで間に合った。そういう時代だった。

今は、ぐんぐん世の中が変わりつつあり、学校教育だけではまかなえない部分が大きくなってきたのではないか。それが、登校拒否という事象に現れているのではないか。もしそうなら、登校拒否は、どんな手を尽くしても改善も解決もしない。学校教育以外の教育を、学校教育と併存する形ではぐくんでいけば、登校拒否という事象はあっても、登校拒否という問題はなくなるのではないか。

ボランティア活動を通じて、そんなことを感じた。
(そして、私が感じたとおり、今もなお、不登校問題はまったく改善も解決もしていない)

1995年7月、関西フリースクール研究会が主催する「全国フリースクール夏期合宿」に、スタッフとして参加した。大阪と京都の境目にあるお寺を借りて、3泊4日、100人を超える人たちが参加した。フリースクール経営者、スタッフ、フリースクールに関心のある大学生、おもろい活動をしている人、変人、奇人 (^_^; ・・・・・

夜も、ずっと、おしゃべり。ほとんど寝なかった。

このような教育は、フリースクールという枠組みで理解するのではなく、「オルタナティブ教育」、つまり「もうひとつの学び」と考えるのが良い。オルタナティブは、主である学校教育に対峙してきた。「学校教育は間違っている! 学校教育なんて不要だ!」という論理だ。

それが、1995年あたりから、オルタナティブの位置づけが変わりつつあるとのことだった。つまり、学校教育と共存共栄しようという考え方だ。「AかBかどっちかが勝ち、どっちかが負ける」というwin-loseの考え方から、「AとBが力を合わせて、よりよいCを生みだしていこう」というwin-winの考え方が急速に伸びてきた。

それは、オルタナティブ側が一方的に歩み寄ったのではない。文部省(当時の呼称)が、「登校拒否」を「不登校」と改め、「不登校は誰にでも起こりうる」と認めた。これにより、不登校は治療すべき逸脱ではなく、普通のことという認識にシフトした。不登校児童を強引に学校へ戻そうというスタンスが、不登校をゆるやかに認めていくというスタンスに変わった。フリースクールへの通学日数を、登校日数にカウントしようという話も出てきた。

ずいぶん世の中が変わってきた。

対立は、お互いが疲弊するだけである。何も生まない。win-winの関係構築こそが、新しい世界を創る。そんな流れだろうか。

これは、子どもたちにだけ言えることなのだろうか。大人も含めて、今の世の中が、そのような流れにあるのではないだろうか。

おっと、ここに、どたんば哲学が作動していることを、気づいて頂けたでしょうか?
私は、土方の次のステップに進もうとしました。そこには、大きな思いがありました。
過去からずっと関心を持ち続けてきた「登校拒否」に関わり始めました。
阪神大震災により、「社会活動が人生を変える」と知りました。
フリースクール夏期合宿により、世の中が、新しい流れを生じていることに気づきました。
今、目の前にフォーカスし続けることで、次々と進展が生まれました。

「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

さて、今、目の前である、童仙房という地域。
田舎ですから、「村おこし」という言葉が、普通に、ひんぱんに語られています。
なるほど、つながってきました。ここですね。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ