世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[009]村おこしがおこすもの

  

 

もし、阪神大震災が起きなかったら、あるいは、もし、ボランティアに行かなかったら、きっと、フリースクールにより深く関わっていたと思う。

私が田舎へ移住したのは、田舎暮らしなんかどうでもよくて、人生かけて、何か大きなことに取り組みたかったからだ。たぶん、生きている間に、世の中が(もしかしたら世界が)大きく変わる時が来る。それに参加したい。

登校拒否の事象にかかわったのも、そういうミッションからでたものだった。だから、自然と、自分がほんらい持っているミッションへ向かうよう、誘導されていく。誘導しているのは神か、仏か? いや、ちがう。自分の脳だ。

自己啓発の古典的大御所とも言える、マクスウェル・モルツの『サイコサイバネティクス』では、人間の脳が、自分が設定した目標へ自動的に向かっていく仕組みを持つことを明らかにしている。それ以後、脳科学の研究が進んで、その仕組みがどんどん実証され、裏づけられていっている。最近では、苫米地英人さんが、さかんに書籍等でその研究成果を発表されている。

その仕組みは、『ザ・シークレット』で話題となった「引き寄せの法則」に通じるところもある。

偉大な成功者たちは、その多くが、サイコサイバネティクスを学んだか、どこかで情報を得たか、かなり活用している。大きな成功をおさめようとすると、どうしても、人間が持つ仕組みを深く活用しなければならない。オカルト的な方法や、宗教的な方法で大きな成功を確実に手に入れることは、難しい。ある程度再現性を持つ方法、つまり、ある程度科学的といえる方法を採用する必要がある。起業家は、科学者ではない。だから、厳密に科学的である必要はない。最も大事なことは、「成功」だ。

他の何者とも矛盾せず、強いwin-win関係を構築していけるような大きな目標と、今、目の前へのフォーカスは、サイコサイバネティクスの観点からしても、成功への近道である。今、目の前が、いっけん目標とかけ離れているように見えても、自分の脳が、カーナビのようにルートを見いだしていく。あれこれ余計なことを考えると、遠回りになってしまう。

私は、当時、サイコサイバネティクスを知らなかったし、成功哲学も勉強していなかったが、この仕組みは、どこかで聞いたのだろう。自然と身についていた。

田舎→土方→登校拒否→震災ボランティア→フリースクール夏期合宿→・・・

では、この流れの次に来るものって、いったい・・・?

今、目の前は、自分が住んでいる田舎だ。田舎は、慢性的に過疎化という問題を抱えている。条件の不利な田舎は、過疎化の問題が深刻だが、条件があまり不利でない田舎は、さほど深刻ではない。

私が暮らす南山城村は、京都府、三重県、奈良県、滋賀県が接するところにあり、大阪と名古屋を直線で結んだその線上にあり、国道163号線という幹線が貫いている。大阪、京都、奈良、大津、伊賀上野といった都市圏が近い。気候も平穏である。主産業は、安定した宇治茶の生産。恵まれた条件を有する田舎である。

童仙房は、南山城村の北部、標高400〜500メートルにあり、下界とは隔絶された高原である。なのに、都市部へ出ることは容易で、宇治茶の生産もさかんで、当時は若い人も多かった。とくだん、過疎で悩む田舎ではなかった。

それでも、どこの田舎でも、「村おこし」という言葉があり、「村おこし」という取組があった。そして、田舎の人たちは、「村おこし」という言葉に、程度の差はあれ、意外に反応する。

2000年ごろまでは、「村おこし」というと、ハコモノづくりを意味することが主だった。(2000年以降は「村おこし」の意味が変わってくるが、後に触れます)

私は、実際に田舎に住んでみて、田舎の過疎化の問題は、地理的条件や不便さとは違うところにあると感じていた。地理的条件や不便さは、ハードウェアの問題だ。それを改善しようとして、ハコモノづくりに向かうのだ。ところが、ハコモノが過疎化を改善するケースは少なく、逆に過疎化を助長してしまうケースが多かった。問題の把握がずれている証拠だ。

1995年当時、少しずつ、そういったハードウェア依存の村おこしの行き詰まりが見えつつあった。それはあたかも、登校拒否という事象が徐々に出てきたのと時期を同じくした。登校拒否も、児童を逸脱と見なして治療しようという取組がなされたが、多くの場合、問題を悪化させていた。この両者は、カテゴリがまったく違う。しかし、俯瞰し抽象化すれば、同じ問題に見えてきた。

世の中が、変わり始めている。

世の中が、新しいパラダイムを必要としている。

きっと、田舎の過疎化も、登校拒否も、今後さらに問題の深刻化を加速する。1995年当時、私はそう思った。新しいパラダイムは、一朝一夕に生まれるものではない。しかし、新しいパラダイムを見いだして、社会に適用していこうと試みる人たちが、ごく少数ながら、動き出していた。彼らは、異端だ。当時の社会はまったく評価していない。ごくわずかな胎動だった。

「村おこし」という用語は、ハードウェア依存をイメージさせるので、好ましくない。しかし、当時は、他の用語が見あたらなかった。

私は、新しいパラダイムを創り出す作業に参加したいと思った。田舎の人たちは、ほとんどが気づいていなかったようだ。過疎化が、パラダイムの問題であることに。

私は、村おこしではない村おこしにシフトした。

1995年秋、以前勤めていた出版社の社長のアドバイスをいただいて、都市住民と協働でハーブ栽培をしようと思いたった。まだ何もしていないのに、新聞2紙が、かなり大きな記事を掲載してくれた。

それにより、びっくりするほどの問い合わせがあり、私の自宅で説明会をしたところ、2回に分けて、多くの方が来てくださった。

地元の人たちが、びっくりしていた。
「ハーブって、何? ハブ茶のことか?」
「なぜそんなもので、街の人がおおぜい来るのか?」
「これは村おこしではないか」
「なぜこれが、新聞にのるほどの話題なのか?」
「いったい、いつそんな研究をしたのだ?」

私にとって、これは収益事業ではない。ひとつのステップだ。

ハーブ栽培をスタートするとき、綿密な計画を持っていなかった。「今、目の前にフォーカス」することで、道が拓けていった。

とくに、栽培する土地の確保は、問題を抱えていた。今だから言うが、説明会が11月、活動スタート(定植)が3月の予定、3月時点で、土地確保が混乱していた。新聞にあれだけ載って、地元の人たちから注目されて、都市の人も多く集めていながら、スタートできなかったら、どうなる? どうせ独身だし、夜逃げするか?

という考えも頭をよぎらないわけではなかったが、どたんばで解決した。スタートを1ヶ月遅らせ、良い状態で活動が始まった。

なぜ解決したか? どたんば哲学が作動したからである。
「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

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