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どたんば哲学

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[011]仙人が1000人集めてテレビ出演!

  

 

1997年5月、あるメーリングリストのメンバーからDM(直メール)が来た。
イベント用の巨大なテント(直径15メートル、高さ8メートル)が余っているが、村おこしで使わないか、とのこと。

童仙房の役員さんたちに相談したところ、「タダか、ほな、もろうとこ!」とのこと。8月に、6人がかりで、テントを受け取りに行った。4トンダンプにまるまるいっぱいの荷物だった。想像以上にバカでかいかも。

9月6日に、テントの棟上げが決まった。「テントを張る」のではなく、「棟上げ」である。人力で建てるのは無理だ。クレーンを使う。地元の建設会社のクレーンに出動してもらう。

ところで、その直前、9月3日に、ぐうぜん、テレビ局のディレクターからメールが来た。「街かどチャチャチャ」という、関西ローカルの、村おこし・町おこしを特集している番組だ。私はさっそく、6日の棟上げに誘った。ほんとうに、ディレクターとカメラマンが来た。

新聞各社にもリリースしたので、6日には、各社が取材に来た。そして、私がいくつかのメーリングリストで経過を報告していたので、メーリングリストのメンバーもかけつけてくれた。

ああだ、こうだと言いながら、試行錯誤の末、テントが建った。祝いの餅巻きのあと、テントの下でバーベキュー。もちろん、無礼講である。地元のおっちゃん、おばちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、にいちゃん、ねえちゃん、新聞記者、テレビ局、ネットの仲間、もう、めちゃくちゃハッスル! テレビ局のディレクターさんが言った。「あちこち回っているけど、こんなににぎやかで明るい地域は他にない」と。

あるじいじゃん、テレビカメラの前に立ちはだかった。
「ほんまもんのテレビか? オレを映してくれ。一生、こんな機会はないやろ!」
カメラさん、あとずさり・・・

その日の夜、テントを建てたものの、どうするかと、会議。なんとか、活用していかないといけない。といって、誰も案がない。私は、「フリーマーケットでもしたらどうですか? お金もかからないし」と、思いつきで言った。意外な反応。「フリーマーケットって、何?」

そこで、地域ではなく、私個人主催でイベントをすることになった。イベントは9月28日に設定した。引き受けてはみたものの、あまりにキツイ。私は、メーリングリストで、企画を詰めた。ネットのメンバーたちは、ともに企画を作ってくれた。3週間しかない。

テレビ取材はどんどん進んでいく。新聞も何度も記事を書いてくれた。

私は、イベント準備でおおわらわ。9月は、ほとんど収入になるような仕事をしていない。ものすごくしんどかった。

イベントが近づいてきた。短期間にイベントを成立させることは、普通では不可能だ。途中から、京都府と南山城村が後援に入ってくれた。予算は出ていないが、PRを協力してくれた。ネットでも、支援が急速に広がっていった。当時は、ブログも、mixiも、twitterも、facebookもない。

このイベント、どこからも予算は出ていない。すべて私の持ち出しだ。まあ、合計5万円程度だっただろうか。

イベントの数日前、私はかなり恐怖を感じた。これだけあおっておいて、もし参加者が少なく、イベントが空振りだったら? 恐怖は、イベント前日がピークだった。夜逃げしようか・・・

当日、私が頼んでいないのに、朝早くから、地元の方々が自主的に会場準備に来てくれた。交通整理も、自主的にしてくれた。来るわ来るわ。自動車が次々と上がってきた。来場者はおよそ1000人。ものすごい人数だ。私はてんてこまいの忙しさ。

イベントが終わって、魂が抜けたようになった。

その一部始終は、45分間の番組となって、放映された。

イベントは、奇跡だった。もう一度やれと言われても、不可能。

このイベントでも、どたんば哲学が強烈に作動した。だからこそ、奇跡が起きたのだ。

この経過は、↓に詳しく書いてあります。
http://souraku.net/souraku/going_naturally/country_life/dosenbo_story/05_mmtotomoni/index.html

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