世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[014]世界を救う・・・って

  

 

どうして、たかがローカルなイベントが「世界を救う」なのか?
どうして、たかが結婚ごときが「世界を救う」なのか?
どうして、たかが田舎への移住ごときが「世界を救う」なのか?
どうして、たかがハーブ栽培ごときが「世界を救う」なのか?

そもそも、「世界を救う」なんて、傲慢な物言いではないのか?

「おまえに100万円くれてやるぞ」と言うのは、すごく傲慢で嫌みで、上から目線の、最悪、サイテーを感じさせます。
「おれが世界を救うのだ」というのは、それと比べれば、傲慢と言うより、滑稽な感じですね。絶対に、どんな奇跡が起きたって、不可能です。ばかげた話です。それを真顔で言うなんて、頭がおかしいかも。

「おれが世界を救うのだ!」
「あほちゃう?」
「あほでもかまわん。世界を救うのだ!」
「頭おかしいん、ちゃう?」
「たしかに頭がおかしいだろう。それでも世界を救うのだ。」
「何言うてもあかんわ。あほらし」
「それでも世界を救うのだ」

どうです?こんな馬鹿げた会話。
奇跡って、こんなところから生まれるものなんです。
普通のことを、常識の枠内で考え、まわりに気遣いながら行動することでは、奇跡は生まれません。

今、奇跡を必要としていない人は、それでよいではありませんか。
でも、今がどたんばの人は、奇跡が必要です。

偉大な成功者たちは、だいたいこんなことを言っています。
・とてつもなく大きなスケールで考えよ
・恐怖に打ち勝て
・馬鹿にされることや批判を怖れるな
・行動は、早く、ためらわずにせよ
・常識を打破せよ
・とにかく与えよ
・ゴミではなく、価値を与えよ

これらをたくさんの項目に分けて理解していたら、頭でっかちになって、動けません。いっぺんに、全部やりましょう。「世界を救うのだ!」という強い思いを持てば、可能です。

ライバルに勝つことに執念を燃やすのもいいでしょう。
勝った後、何がありますか?
そこで終わりですか?
既存の枠組み(ライバル)を破り、大きな道を拓いたなら、あなたは偉大です。その成果でもって、もっと先へ行きましょう。

お金を稼ぐのもいいでしょう。
稼いだ後、何がありますか?
そこで終わりですか?
自分の可能性を広げたなら、あなたは偉大です。その成果でもって、もっと先へ行きましょう。

志望校へ合格するのもいいでしょう。
合格した後、何がありますか?
そこで終わりですか?
自分の世界を広げたなら、あなたは偉大です。その成果でもって、もっと先へ行きましょう。

結婚という目標を達成するのもいいでしょう。
結婚した後、何がありますか?
そこで終わりですか?
新しい協働生活を始めたなら、あなたは偉大です。その成果でもって、もっと先へ行きましょう。

イベントを成功させるのもいいでしょう。
成功させた後、何がありますか?
そこで終わりですか?
イベントを成功させたなら、あなたは偉大です。その成果でもって、もっと先へ行きましょう。

小さな志、小さな枠組み、小さな行動では、奇跡はおきません。
今、目の前がどんなに小さくて、みすぼらしくて、つまらないものに見えても、そこへフォーカスします。今、目の前にないものを追いかけてはいけません。そして、今、目の前の向こうに、とてつもなく巨大なミッションを持ちます。

今、目の前が、ライバルに勝つことだったら、それに集中します。しかし、ライバルに勝つことが最終ゴールではありません。自分の道の過程に過ぎません。もしかすると、ライバルに勝つことにフォーカスしているうちに、ライバルに勝つこととは違う道が目の前に現れるかもしれません。その道が、自分にとってさらに先へ進めるものであるなら、ライバルとの闘いは忘れてもいいでしょう。

ライバルに勝つことが全てなのか。
「世界を救うミッション」にとって、今、目の前が「ライバルに勝つこと」であるのか。

前者の場合、勝てるかも知れませんが、奇跡は起きません。
後者の場合、勝てないかも知れませんが、奇跡が起きて、ライバルに勝つことがどうでも良いと思えるほどの結果を手にします。

「世界を救うミッション」は、ある意味、馬鹿にならねば持てません。
あれこれ考え、迷う人には、持てません。
そういう人は、まだ余裕があり、どたんばではありません。

どたんばとは、恐怖を感じますが、なんともいえない快感、快楽をも感じます。
どうも、奇跡は、そのような快感・快楽を好むようです。

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