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どたんば哲学

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[015]激動の新婚さん

  

 

ネット婚は、私たちにしてみれば、なんでもない普通のことだが、考えてみれば、奇跡なのかも知れない。

ネット上にはあらゆる人たちがいる。その段階のコミュニケーションは、バーチャルだ。相手の顔も名前もわからない。性別や年齢さえもわからない。相手が20歳の女性だと「自称」していても、本当かどうかはわからない。

出会い系サイトは、それを逆手にとって良くない方向へもっていく事例が多いようだ。私たちは、出会い系サイトを利用したことがない。しかし、「ネット婚希望者」からの話はよく聞く。出会い系サイトで結婚に至るケースも実際に、まれにあるようだが、傷つくケースがあまりに多い。まじめな出会い系サイトもあるかも知れないが、ネット婚を目的として出会い系サイトを利用することは勧められない。

「出会い」を目的としないバーチャル空間で出会うのは、砂漠の中で、1本の針を探すようなものだ。結婚へは、あまりに飛躍が大きい。

が、実際のところ、私たちが知っているだけでも、ネット婚をしたカップルは、珍しくない。そしてまた、ネット婚夫婦は、いつまでたっても仲がいいか、少なくともそれなりに夫婦を維持している。私たちが知る限りで、離婚したネット婚夫婦はいない。

私たちは、1999年4月に入籍と決めていた。なんの障害も問題もなかった。順風満帆だった。

その直前の3月、骨髄バンクから、1通の手紙が来た。

1992年、童仙房へ住み始めた年に、高校の同窓会から、同窓生のお子さんが白血病なので支援して欲しいと要請があり、それをきっかけに骨髄バンクに登録した。同窓生のお子さんは、間もなく亡くなった。私は、同じような病気で苦しんでいる方の役に立ちたいと、すぐに検査を受けたが、その後は、何の音沙汰もなかった。

じつに、6年ぶりだった。3次検査の連絡である。骨髄バンクに登録すると、1次検査は、全員が受ける。2次検査も、かなり多くの人が受ける。3次検査は、ドナーになる可能性がかなり高いときに受けるそうだ。

入籍の直前に、3次検査を受けた。貧血になるほど、血を採った。

4月、予定通り、入籍した。地域の人は、私が結婚するなどと、だれも思っていなかった。結婚に至るまで、よりこはなんども童仙房へ来ているのだが、地域の人たちは、よほど私を仙人扱いしていたらしい。結婚相手だとは夢にも思わなかったそうだ。

入籍後、となりの家によりこを連れてあいさつに行くと、腰を抜かしてびっくりされた。

私の結婚は、じつに、ステルス作戦であった。 (^_^;

ところで、気になるのが、骨髄バンクである。3月以降、連絡がない。もし、ドナーに選ばれたら、どうするか。その決断は重い。

私がドナーを断ったとき、他にドナーになる人がいれば、問題ない。が、その確率は高くない。私が断れば、その患者さんの生きる道を断つことになりかねない。

私がドナーを引き受けたら、患者さんは、生きる希望に歓喜するだろう。その後、私が気が変わると、患者さんを奈落の底へ突き落としてしまう。予定通り移植手術へ向かうと、患者さんは準備に入る。手術1週間前には、無菌室に入り、白血球を死滅させ、ドナーからの骨髄を待つ。その1週間で、私が事故にあったり、病気をしたり、風邪をひいたりすると、患者さんは、無菌室から出られない。患者さんの命を奪うことになる。

予定通り、ドナーとしての努めを果たすなら、私は4-5日間入院し、全身麻酔をされて、腰の骨から骨髄採取される。それだけでも負担だが、ごくまれに麻酔事故がありうる。

こういった説明を骨髄バンクから受けていた。

私の腹は決まっている。私は、若い頃、他の方の捨て身の支えで命を長らえた経験がある。私の母は、私が6歳で病没したのだが、その後の私の人生を思うに、母の死とひきかえに私の人生が支えられていると思われる場面が多々あった。私に巡ってきたこのチャンス、どうして逃げられようか。

この思いをよりこに伝えた。新婚早々、申し訳ない。どうしてもこの機会を生かさせてほしい。

よりこは、あっさり理解してくれた。私は、心の底から感謝した。

8月、骨髄バンクから連絡があった。ドナー候補に選ばれた。いよいよ来た。

私たちは夫婦で、骨髄バンクのコーディネーター、医師と面談し、詳しい説明を受け、同意書に署名した。

9月にかけて、何度も病院へ行き、検査や自己採血を重ねた。

ちょうどその頃、順子の妊娠がわかった。胎児の心臓は、元気に動いている。授かった命に、狂喜乱舞したのは、言うまでもない。

骨髄移植手術日程が決まった。10月中ばである。

その6日前、突然、隣人から、不可解なFAXが届いた。脅迫めいた文面で、よりこは恐怖に怯えた。もとからおかしな人だったが、結婚して以降、かかわらないようにしていた。

私たちには、3つの道があった。

1. 対決する。
2. 逃げる。
3. 無視する。

しかし、私は、即決で、第4の道を提案した。

「未来を創るきっかけとする」だ。その時住んでいた家は、プレハブをベースにしており、あまり長期間は住めない。必然的に、「次」を考えざるを得ない。それが、「今」だ、という決断だ。

よりこも、それがいいと言った。

その2日後、すなわち、私の入院の4日前、産婦人科へ検診にいった。よりこが、診察室に入った。しばらくして、待合室にいた私が、中へ呼ばれた。

「赤ちゃんの心臓が止まっています」

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