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どたんば哲学

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[017]誕生

  

 

1999年暮れは、たいへんだった。
10月初め、隣人からの脅迫FAX、未来へ進む道を選択したら、その2日後に流産。その4日後に、私が骨髄移植ドナーとして入院。退院後、移転先探しに奔走し、高野山の南側にほぼ決まりかけていたら、急転直下、童仙房で移転先が現れた。12月半ばのこと。

流産から、2ヶ月ほどの間のできごとである。流産のショックに落ち込む暇もないほど忙しかった。とはいえ、初めて宿った命を失ったことは、不安をかきむしった。もしかすると、私たちには、子どもはできないのではないか。子どもの縁はないのではないか。

不妊で悩む方々は、身近にも何人もいる。私たちもそうなのかもしれない。たった一度の流産で・・・と言われればそうなのだが。産婦人科では、赤ちゃんが身をひいたと言うが、「なぜ、流産したのか?」という疑問は解消されない。解消されないので、次は大丈夫と思える手立てがない。

よりこは、流産後に他の同じような経験をされた方のホームページを見にいって、「流産後に妊娠した」と見たときに、素直に「おめでとう」という気持ちになれず、ショックを受けて泣いていた。

もし、子どもができなくても、ふたりで楽しい人生を生きていこう、と、よく話していた。

年末にあわただしく引っ越しした。すぐ近所なので、自分の車だけで荷物を運んだ。新居に落ち着いて、ふと思った。もし、流産していなければ、この2ヶ月は、悪阻の時期に当たる。移転先を探し回ったり、引っ越ししたりなど、できなかったのではないか。流産はつらかったが、かわりに、新しい道へ踏み出せた。それはそれで、よかったのだろうと、ふたりで妙に納得した。

年が明けた。隣人の脅迫は、忘れた。憎しみも何の感情もない。かかわることさえない。もう、関係のない話である。新しい生活を祝った。

1月末、よりこは体調の不調を感じた。もしかして、と、産婦人科へ行くと、妊娠していた。

なんということ!

最初の妊娠後、赤ちゃんは元気だったのに、脅迫FAXが届いた直後に、パパとママに負担をかけるからと、いったんお空へ戻っていった。移転先探し、引っ越しをお空で見ていて、引っ越し完了と同時に、ママのおなかへ戻ってきた!

そうとしか思えないタイミングだった。少なくとも、私たちは、そう信じた。

ところで、独身時代からつくっていたWebサイト「童仙房の仙人」は、巨大テントのフリマ以後、おおいなる重荷を感じて、結婚後は閉鎖していた。

そろそろ、ふたりのサイトを持ちたいと思った。

童仙房では、枠が小さすぎる。もう少し大きな枠がいいと思って、相楽郡を対象にした地域サイトのようなものをつくろうと思った。

当時、地域サイト、地域ポータルが流行っていた。ガイドブック的な、公式情報を網羅したようなタイプのものが多く見られた。私たちは、それに違和感を持っていた。地域とは、私たちが暮らしている場以外のなにものでもない。展示場やショールームではなく、泥臭い、泣いたり笑ったりする、息づかいのある空間なのだ。そこで、私たちは、人間を感じられる地域サイトを作りたいと考えた。

ドメインも取得し、レンタルサーバを借りた。いずれも、初体験だった。

そして、立ち上げたサイトは、「相楽ねっと(http://souraku.net/)」。今なお、存続している。これを「地域サイト」と呼べるかどうかはなんとも微妙だ。むしろ、「わがやネット」か。

いずれにせよ、ネット上の「私たち」のポジショニングが誕生した。2000年3月だった。

4月には、おなかの中の赤ちゃんの性別がわかった。男の子だった。しかし、流産のトラウマがあり、いつもビクビクしていた。誰にも妊娠を言わなかった。春になると、黙っていてもわかるようになってきた。

9月、元気な長男が誕生した。ほんとうに、1年前の流産は、この子がパパとママを気遣ってのことだったのだろうか。

長男は、元気に育った。何の悩みも問題もなかった。というか、元気すぎるのが、最大の問題だった。

お借りしていたはなれは、2階である。長男がハイハイを始めた頃から、限界を感じた。子育てしやすい環境に移ることが必要だ。

また、移転か。2001年夏、移転を考えた。もう、童仙房から出たくはなかった。

2年前、移転先を探していたとき、童仙房内の方が、古民家を勧めてくれたことがあった。そこは、12年間、人が住んでいなかった。井戸も、風呂もトイレも台所も何もなく、かなり手を入れねば住めない状況だった。時間がなかったので、その時は、見送った。

今回、そこへ住めないかと、考えた。大家さんは、快諾してくれた。ただし、自分たちで改修する必要がある。ほぼ、新築に近いほどの改修。

おっしゃ、自分でやってみるか!!

とはいえ、私は、素人である。家の構造など知らない。土方はしてきたが、大工の経験はない。

不可能と見えれば、血が騒ぐ。2001年、9月7日、工事開始。私が主になり、一時的にお手伝いを頼んだ。設計図はない。どこをどうするか、見当がつかない。手順もない。何が必要かもわからない。工具もない。知識もない。

それでも、始まった。

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