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どたんば哲学

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[019]地域が割れるほどの大問題

  

 

2001年9月7日、古民家改修に着手し、素人がときどき作業するというやり方で、2001年12月15日には住める状態に仕上げ、引っ越した。

なんにしろ、新居である。建物の3分の1程度は未完成であり、荷物が整理できずに山積みとなっている状態ではあるが。

私たちは、新しい生活を手放しで喜んだ。

そして、住み始めてからも、日々、作業を進めていった。住みながらの作業なので、まとまった時間でなくてもいい。とてもやりやすい。ただ、安心したためか、作業のペースはダウンした。

2002年8月には、ほぼ全面的に完成し、全ての部屋が使えるようになった。12月に引っ越したときに、感無量であったが、今回もまた、感無量である。大きな仕事をやり遂げた、という感慨。ちょうど、1年前の着手であった。

引っ越し後の作業風景は↓こちらをごらんください。
http://souraku.net/souraku/going_naturally/country_life/iedukuri2/index.html

ちょうどそのころ、よりこは2人目を妊娠し、翌2003年5月、長女を出産した。流産後は、出産に臆病になっていたが、2人目を生んで振り返ると、二度の出産は、いずれも安産だった。

長男は、陣痛が始まって3時間でするりと誕生。長女は、陣痛が始まって6時間で誕生した。まるでパパの仕事のスケジュールにあわせるかのように。

私は、子どもが大好きだ。他人の子どもでも大好きなので、自分の子ならなおさらだ。大きく育ってほしいと思った。小さな競争社会や学歴社会に巻き込まれず、大きな世界で活躍し、自分の手で幸せをつかんで欲しいと思った。

童仙房には、小さな小学校があった。野殿童仙房小学校という。私を童仙房に住もうと決意させた、あの小学生がいた学校である。全校生徒、十数人。超小規模校ゆえ、特色ある教育を行っていた。というか、おのずから特色が出てしまうが・・・

先生方のご尽力も素晴らしかったし、地域と一体になっての教育も素晴らしかった。現代の日本に、このような学校は、まず、ない。

私たち夫婦は、自分の子をこの素晴らしい小学校へ行かせることを楽しみにしていた。

いっぽう、南山城村では、少子高齢化の進行に伴い、一村一校が検討されてきた。その検討は、10年間に及んだ。教育に関する検討ではない。どの土地に建設するかというせめぎ合いであった。

2003年、新しい小学校ができた。村内、4小学校のうち、3小学校が廃校となった。

不思議なことに、野殿童仙房小学校は廃校をまぬがれて、存続した。

しかし、野殿童仙房小学校にも、統合の波が押し寄せてきた。

時代は変わってきている。統合はやむを得ないかもしれない。しかし、「やむを得ないから統合」では、子どもたちに無責任ではないか。良い教育を目指しての統合であってほしい。それならば、理解できる。私が思う「良い教育」とかけ離れていてもかまわない。「良い教育」とは何であるかを定めることは難しい。私が思う「良い教育」がベストであるとは限らない。ベストであると言えるのは、「良い教育」を目指そうという意志である。

どうも、南山城村教育委員会には、その意志が感じられなかった。統合に関する話し合いを持つほどに、不信感が募っていった。教育委員会は、教育を考えていない。考えたこともない。考えたくもない。

まさか、そんなこと・・・

それを確かめるために、私は、村教育委員会へ、公開質問状をだすことを思いついた。村教委の「意志」を知りたい。

しかし、個人が突出した行動を取ることを、田舎は嫌う。

子どもへの責任を果たすということは、公開質問状を出すことなのか、控えることなのか。
おそらく、南山城村の歴史において、公開質問状などというものは、存在しなかっただろう。
それは、良いことなのかどうか。
間違いなく言えるのは、それが「歓迎されない」ということだ。

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