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どたんば哲学

どたんば哲学

[025]超ハイスピードと、10年ぶり

  

 

京大に、廃校となる小学校で新しい学校をつくってもらったら?という、途方もない無茶苦茶な発想は、形を変えつつ、あっという間に現実になりつつあった。

2006年3月2日(木)、3日(金)、京大の8人が、童仙房へ視察に来た。

2日の夜、民宿・童仙房山荘で、京大と、童仙房区役員とが初顔合わせした。区役員も、まさか本当に京大が来るとは思っていなかっただろう。私も、こんなに早く(というか、まだ廃校になっていない)京大が童仙房へ来るとは思っていなかった。ほんとうに、京大は童仙房をフィールドとして考えてくれるようだ。

京大が一方的に何かをするのではない。地域と一緒になって、なにができるか考えていきましょう、と、教授の言葉。

田舎の小さな地域が「京大と一緒に」というのは、あまりにアンバランスに見える。しかし、地域が、京大に何もかもやってもらうという形は、地域の発展によろしくない。それは、京大の植民地化してしまう。教授はそのことをとても危惧されていて、あくまでも、対等な立場で、京大が出過ぎずに、と主張された。かたや、地域は、京大と対等に何かをする力があるとは思うことができず、また、力が弱っているからこそ廃校となったのであるから、京大にイニシアチブをとってほしいという意向が感じられた。

地域が弱体化しているというのは、事実だ。しかし、誰か(たいがいは行政)に助けてもらうという発想は、危険だ。さらなる弱体化を招いてしまう。弱体化しているからこそ、新たなあり方(パラダイム)を模索し構築していくことが肝心だ。そして、その一連の試行錯誤や取組こそが、子どもたちにとって最良の教育に他ならない。これ以上の「学び」はない、と思った。最高の先生に巡り会ったと心底思った。

私にとって、期待していた以上の展開と成果であった。

役員さんたちは、京大に対して熱烈なプロポーズをした。地域として、できる限りのことをすると。

何をしていくかは、何も見えていない。初対面で活動を具体化することは無理だ。さしあたって、どうするか。京大は、組織である。何らかの形がいる。南山城村に対して、跡地利用要望書を出そうということになった。(この時点で、まだ「跡地」ではなかったが)

3月3日(金)、京大は帰っていった。

7日(火)、教授が主宰する勉強会に出席した。その際、「要望書」を預かった。村長宛で、京都大学教育学研究科長(学部長)名である。なんと、一人の教授ではなく、学部長の名で書類が作られている。しかも、要望書の話が出てから5日後である。超スピードだ。

私は、8日(水)、童仙房区長へ要望書を渡した。区長もびっくりしていた。

9日(木)、童仙房区長と野殿区長が、要望書をもって、村長に渡しに行った。野殿童仙房小学校は、野殿区と童仙房区の小学校であるから、両区で取り組もうということだ。

私が、初めて教授にお会いしたのが1月10日。ちょうど、2ヶ月である。想定を遙かに超えた進展だった。

私が借りているレンタルサーバ上でメーリングリストをつくり、京大、地域、その他、活動にかかわる人たちで、緊密な情報交換や連絡をしていくことになった。

ところで、3月半ば、電話がかかってきた。

「内藤さん、お久しぶりです。10年前にそちらにうかがったことがある・・・」

あ、声ですぐにわかった。確かに10年ぶりだが。大阪の生活協同組合「アルファコープ」(現、生活クラブ生協大阪)の設立に取り組んでこられた方だ。

「うちの生協には珍しくも教育部門がありまして、組合員の子どもたちの活動をするフィールドを探しています。これまで10年間、信州で活動してきましたが、もう少し近くでいいところがないかと考えているんですよ」

「それは、奇遇ですね。ちょうど今、京都大学教育学部と、似たような話が始まっているんです。童仙房の小学校がこの春、廃校になるので、その跡地を利用して、学びの場をつくれないかと。生涯学習です」

「それはおもしろい。いやあ、タイミングがいい。近々、メンバーがそちらへうかがいますので、ぜひ、詳しく聞かせてください」

うーん、どたんば哲学は、こんな奇跡までもたらすものなのだろうか。

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