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どたんば哲学

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[026]予算ゼロの調印式

  

 

京都大学大学院教育学研究科と地域が、共同で、新しい学びの場を創っていく。
アルファコープ(現、生活クラブ生協大阪)が子どもたちの活動(学び)の場として童仙房を検討したい。

2006年春、この両者が、同時進行していった。

4月15日(土)、アルファコープのメンバー10人ほどが、童仙房へ初めて来た。地域の役員さんたちと初顔合わせ。コープも、まだどんな活動をしていきたいか、具体的にあるわけではない。

童仙房区役員は、前向きだった。ひとつには、地域外の方々が童仙房へどんどん来てくれると活性化になるという期待。そして、もうひとつは、できることなら、生産地としてもかかわりたいという期待。

それにしても、京大もコープも、控え目だ。地域が望まないことはしない。地域と良い関係を持ちたい。地域に貢献することを優先してやりたい。地域から何かを奪うということは一切しない。といったニュアンスが共通している。

地域外の団体が地域にかかわろうとするとき、その団体が持つ「正しい主張」や「優れた考え方」を地域の事情や思惑をかえりみずに持ち込み、地域に適用したり展開したりしようとすることが、おうおうにしてある。そのことが地域と軋轢をおこさなくても、地域の中に「別空間」を作り出してしまうことがある。

かといって、なんでもかんでも「郷に入れば郷に従え」は良くない。人間は、集団にしろ個人にしろ、成長や発展が不可欠で、「いつまで経っても変わらない」という文化は、必ず衰退し滅亡する。

異質な文化との交流や融合は存続のためにも不可欠だ。でも、そこにお互いの尊重がないなら、力の優劣によって、支配−従属の関係ができてしまう。これもまた、衰亡へ向かう。

京大もコープも、あきらかにその点を重視していた。地域との関係の取り方に重点を置いていた。

4月20日、私は京大へ行き、学部生相手に、フィールドの説明を行った。こうして、少しずつ広がっていく。

その後、京大から地域住民へ向けて、あいさつ文をつくった。それを、全戸に配布した。

4月29日(土)の夜、廃校となったばかりの野殿童仙房小学校の教室で、京大と地域住民が寄り合いをもった。地域住民の参加は、意外に多かった。教授が、京大の思いを語った。意見交換では、地域住民から、「京大に○○してほしい」といった類の発言が相次いだ。教授は、「できることを一緒にやっていきましょう」という応答をした。

やはり、地域は、大きな存在におんぶしてもらいたいという感覚が強くある。京大が、地域をおんぶすれば、地域は間違いなく衰退の道を転げ落ちる。

教授の応答ぶりは、地域からは、はがゆく見えるようだし、期待がやや失望に変わりかけたようだ。寄り合いの終わりごろ、発言が少し変わってきた。「○○ならいっしょにできるのではないか」といったぐあいに。

意外にも意見交換は途切れることなく続いて、盛り上がりを見せた。

最後、役員さんが、締めくくった。
「みなさんの思いを形にするために、野殿童仙房生涯学習推進委員会を立ち上げて、今後もできることを考えてやっていきましょう」

拍手がおこった。

以後、メーリングリストで、意見交換や情報交換を重ねた。

5月末の、京都府の「地域発未来っ子応援事業」という助成金に応募した。
6月16日、京都府山城南保健所でヒアリングがあった。教授、地域役員、私が出席した。京大と地域以外へプレゼンしたのはこれが初めてだった。

この活動を押し進めていくために、京大と地域が協定を締結しようという話になった。

通常、というか、まずまちがいなく、「大学と地域の連携」は、「大学と地方自治体行政の連携」を意味する。私たちの場合、村長は、村が主体となる決断をしなかった。そこで、地域(自治会)が主体となることになった。「京都大学大学院教育学研究科(教育学部)と地域コミュニティの連携」である。このような形態は、日本中、他に例がないのではないかと思っている。

これ自体が「あり得ない話」である。このような展開は、「京大が童仙房へ来た」という以上に奇跡だ。

協定を「形」にしよう。6月23日に、野殿童仙房小学校体育館で、調印式を行う。

もちろん、予算はゼロである。なにしろ、行政が関与していないから。

準備も、当日の運営も、すべて手作り。新聞にも大きく記事が出た。そして、当日、京都大学大学院教育学研究科長(学部長)さんが、来てくださった。研究科長、童仙房区長、野殿区長が、地域住民の前で、調印の儀をおこなった。

1月10日、教授に会うまでは、夢物語以上のバカバカしい妄想であった。あれからまだ、半年もたっていない。

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