世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[027]支援がない幸運

  

 

2006年6月23日、野殿童仙房生涯学習推進委員会の発足調印式が行われた。予算ゼロなのに、盛大な式典だった。お金がないと何もできないと考える人は多いが、そんなことはない。

ここまでものすごいスピードで展開してきた。特別な「何か」があったわけではない。もちろんお金もない。なのに、何重にも奇跡が起きた。

「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

奇跡を起こしたのは、このどたんば哲学によるものであることは疑いないが、この立ち上げをともにがんばった方たちも、同じようなミッションと行動があったようだ。どたんば哲学を知らなくても、意識しなくても、複数人が同時にどたんば哲学を使うと、奇跡が加速するようだ。

もっとも、よく言われる「引き寄せの法則」とは少し違う。

欲しいものを強くイメージした結果ではない。じつは、欲しいものの具体的なイメージはよくわかっていなかった。引き寄せの法則なら、願望をリアルにイメージすることが必須である。しかし、どたんば哲学は、必ずしもそうではない。そもそも、実現するための道がかいもく検討つかないのだから、イメージもなにもない。欲しいもののイメージはかなり抽象的であり、漠然としていた。

私からすると、実現していく過程で、イメージはどんどん変わっていった。

ただ、間違いなく言えることは、大きなミッションを持っていたということである。

私の子どもや地域の発展を最優先に目的としていたら、実現はしていないだろう。新しい学びの場は、この地域に限定されるものではない。この地域で行うことは間違いないが、この活動に参加する人の枠組みは限定するものではない。まさに、「世界を救うミッション」と言えるだろう。

「世界を救う」というと、そんなことはできるはずがないという反応が返ってくる。そんなことは当たり前だ。世界を救い終えることなど、どんな奇跡が起きてもあり得ない。しかし、「世界を救うミッション」を持つことなら、だれでもできる。自分ができること、考えることは、あくまでも「今、目の前」だ。しかし、その奥に、世界を救うミッションを持つことが大事だ。

世界を救うというのは、世界を支配することではない。世界のために犠牲となることでもない。上から目線で助けてやるもんでもない。世界が良くなるために、世界中の人が幸せとなるために、今、自分は何をできるか。そのような思いを持って、目の前のことを、一生懸命考え、全力で取り組む。とてもシンプルだ。

しかし、多くの人は、目の前のことを何とかしようとして、目の前にはないことをわざわざ何とかしようとする。目の前のことが貧弱に見えるからだ。こんなものを使ってもどうにもならないと思ってしまう。奇跡を起こすためには、特殊な要因が必要だと思ってしまう。ありふれたものではダメだと思ってしまう。それが、奇跡を遠ざけてしまう。

世界を救うというミッションも、完成させなければならないと、極端に大げさなことを考えてしまう。そんなことは無理だから、世界なんて見ないようにしようと。「世界を救うミッション」は、とても身近で簡単なことだ。そして、まず多くの人は自然と同意できるはずだ。世界中の人が、尊重しあい、分かち合い、助け合い、いたわり合い、豊かに暮らしていけたら、なんていいだろう。そのことには、素朴に同意できるはずだ。だったら、そのように心の中で思うだけでよい。何も遠い国へ出かけていって、ボランティア活動をしなければいけないものでもない。

野殿童仙房生涯学習推進委員会は、他の団体や地域をライバル視するものでもない。何かに勝つとか、追い落とすとか、そんな発想はもともとない。自分たちだけで狭く閉じこもるものでもない。

半年前に私がぼんやり考えていたものとはずいぶん違う。とても大きな結果となった。

6月26日、京都府の「地域発未来っ子応援事業」の選考委員会があった。プレゼンを行い、質疑応答があった。非常に感触が良かった。選考委員に「これはすごい! がんばってや」とまで言っていただいた。

しかし、選考には漏れた。なぜ漏れたか、理由はわからない。これは、「うまくいかなかった」のだろうか。

そうではない。この活動は、当初より、行政が関与しない形で進んできた。今、あらためて助成金に漏れたことは、行政が関与しない方向性が、さらに強まったことになる。行政が関わり、予算をつけて行う活動は、やりやすくもあるが、ある意味では発展しにくい。行政が関与せず、予算も受けないということは、法律に違反しない限り、自由な発想で思い切ったことができる。縛りはない。制約するものは、自分たちの思い込みぐらいだろう。

手に入れようとしたものがうまく手に入らないというのは、よくあることだ。それは失敗なのかどうか、良く考えてみよう。手に入らなかったことで、もっと大きなものが手に入るということも、よくあることだ。「失敗だ」と思ってしまうと、後から来るかも知れない「より大きなもの」を失ってしまう。

7月、アルファコープ(現、生活クラブ生協大阪)の活動も動き出した。メンバーが大勢、童仙房へ来た。

8月、野殿童仙房生涯学習推進委員会は、廃校となった野殿童仙房小学校で、2泊3日の夏季セミナーをおこなった。京大と地域住民だけでなく、市民団体や一般個人、韓国の大学も参加した。

8月下旬には、野殿童仙房生涯学習推進委員会も、アルファコープも、畑作りを始めた。

野殿童仙房生涯学習推進委員会は、広報誌を作り始めた。年4回の発行。編集は、メーリングリスト上で行い、大学院生が順に担当した。きれいに印刷し、立派なものができあがった。野殿区と童仙房区の全住民に配布した。

順調に活動が進んでいく。

そろそろ秋。私の長男は、来年、小学生。さあ、どうする?

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