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どたんば哲学

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[031]選択は力

  

 

2006年秋、ホームスクーリングを決断した。
これはこれは、ものすごく重い決断だった。3回続けてこの話題をあつかったが、それほど重い決断なのだ。だったら、やめればいいのに、と多くの方は言うかもしれない。しかし、どれほど重くとも、それを凌駕するメリットがある。メリットがある、というのはおかしい。メリットがあるのではなく、メリットを創り出せるかも知れないというメリットがあるのだ。学校教育でもできるかもしれない。でも、学校教育で創り出すことは、ホームスクーリングでやるよりずっと難しいだろう。

人間の可能性は無限だ。少なくともそう信じている。が、子どもが「そのメリット」を享受できなければ無意味だ。子どもが子どもであるうちに「そのメリット」を創り出せるか。

逆に、ホームスクーリングを選択することのデメリットもある。学校教育でできることはホームスクーリングでもできることばかりだが、学校教育ではかんたんにできるのに、ホームスクーリングでは苦労するということも少なくない。

ホームスクーリングを選択したあと、最も困難を感じたのは、何を隠そう、私自身と、よりこ自身の心の中だ。私たち夫婦は、ふつうに学校教育で育ってきた。そこに疑問も持たなかった。ホームスクーリングという選択肢は、ごく数年前まで知らなかった。

「子どもは学校に行かねばならない」

前回、法律はそうではないと書いたが、私たちの心の中では、この不文律が強烈に存在した。だれも、私たちに、「子どもは学校に行かねばならない」と言う者はない。それなのに、私たちの心の中が、私たちを罰しようとする。

これは、根拠のない刷り込みだ。刷り込みをした「犯人」がいるわけではない。社会の中で、自分自身が作り出した虚構である。

私たちにとって、最も手ごわい敵、最も強大で最も困難で最も怖ろしい敵とは、自分自身の心である。ホームスクーリングを選択し決断したあとも、この敵と戦い続けた。

では、そのような「決断」は、どうやっておこなったのか。

世間の多くのご家庭では、父親(またはまれに母親)が、自分の決断を家族の決断として押し切り、家族全員を引っ張っていくことが多いだろう。それが、父性であり、男の甲斐性であり、強さだ、と信じられているだろう。

私は、そのような父親のあり方は好きではない。私たち夫婦は、会話を重視する。いつもいつも、会話している。ようするに、おしゃべりなのだが、12年間いっしょにいて、なお、おしゃべりが尽きない。何をしゃべっているかというと、まあ、雑談なんだけど、雑談とはいえど、わが家の時事問題であることが多い。

たとえば、ホームスクーリングを考えている時期には、ニュースからも、ネット上の情報からも、子どもたちの行動やしぐさからも、何をしゃべっていても、共通の問題であるホームスクーリングを意識している。

わが家の時事問題というのは、生きている以上はぜったいになくならない。だから、おしゃべりが尽きることはない。

でもって、おしゃべりするうちに、お互い意見が違っていても、たくさんの情報をいろんな角度から検証するうちに、どうしても1つの結論に集約されてくる。いつもそうだ。どう考えても、そうだよな、って感じで。

そして、いよいよ決断の時がくれば、私は、妻であるよりこに最終判断を求める。じつは多くの場合、最終判断は、すでに見えている。とくに大きな問題ほど、十分すぎるほどのおしゃべりを経ているので、判断が揺らいだり迷ったりする余地が残っていない。

それほど大きな問題ではなく、おしゃべりが十分でない場合は、私の判断とよりこの判断が違う場合もある。

よりこが違う判断をするか、私の提案によりこがほんの少しでも迷いを見せるときは、私の提案を破棄し、よりこの判断に従う。

なぜ、そうするかというと、対外的に責任を持ち、実現していく行動は主に父親が担うので、最終決断は、母親が担わないと、おかしなことになるからだ。

「あれは、お父さんが決めはったから。私はついていくだけ」
「でもね、それでよかったのかしら」
「もうちょっと考えるべきだったのでは?」
「あーあ、うまくいかないなぁ」
「なんか、違うのよねぇ」
「もっといい選択肢があるんじゃないかしら?」
「これでは子どもたちがかわいそう」
「他人からどう思われるかしら?」
「なんか、不安だわ」

母親が選択し決断したなら、このような言葉は生じる余地がない。
選択は力である。

重い決断が必要な場合、私はよりこに三度問う。

「この選択でよいか?」
「大きなリスクがあるが、本当によいか?」
「最後の判断だ。よいか?」

十分すぎるおしゃべりなしに、これをせまったらダメだ。よりこは恐れをなして逃げ出すだろう。

しかし、あらゆることを検討し、シミュレーションした後だ。よりこは、私の覚悟も十分知っている。
今まで、重い決断で、ぶれたことはない。

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