世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

モモナナじぇーぴー

メイン
どたんば哲学

どたんば哲学

[032]人生のステージ

  

 

選択は、力である。自分で選択するという行為が、大きな力をもたらす。

どたんば哲学とは、いわば選択でもある。世界を救うミッションでもって、今、目の前を選択していく。誰からも指示されたり与えられたりするものではない。

だから、定まった「正解」や「レール」があるものではない。でも、多くの人は、既存のレールを歩いて行くことが「安定」だったり「無難」だったりだと思う。

それは、選択の力を封印することになってしまう。レールを歩いてはいけないのではない。レールを歩くということを自分で選択すればいい。選択したなら、不満や後悔や不安が生じる余地はない。選択に問題が生じたなら、新たな選択をすればいいだけだから。とても単純なことだ。

私が書いているこの物語は、私の人生であって、あなたの人生ではない。でも、その時時に、私は選択の力を使っている。すなわち、「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」のである。

もし、あなたが、あなたの人生において、選択の力を存分に使えば、いかなる幸せも実現していけるだろう。

選択は、一度すれば終わりというものではない。

誰のどんな人生にも、必ず、ステージがある。生老病死とか、起承転結とか、4つぐらいのステージで考えるといいのだろう。生老病死という人生のサイクルの中に、小さな生老病死がたくさんある。

たとえば、私の人生の途中の過程で、巨大テントのイベントがあった。始まりは、1997年5月のメールだった。クライマックスが1997年9月28日のイベント当日。その後は、ゆっくり幕を閉じた。このサイクルは半年あまりで終わった。でも、そこから次の出来事が生まれ育っていった。まるで、人間が世代をつないでいくように。

それぞれのサイクルのそれぞれのステージで、選択の力を使ってきた。選択の力とは、どたんば哲学そのものだ。

どんな人生でも、必ず一定ではない。だから、何度も何度も選択を繰り返す必要がある。そして、新たな選択が必要となるときは、今までのステージが終わりを迎えつつあるときだ。そういうときは、不安を感じるだろう。何かにしがみつきたくなるだろう。レールに乗っていれば、そういう不安を感じなくてもすむかというと、そうでもない。選択を避けることはある程度できるかもしれない。選択すべき時に選択を避けたらどうなるか。自分が望む展開が得られないだろう。人生とはそんなものだと思い込もうとする。自分を納得させようとする。

選択の力を使う人は、自分の望む展開を手に入れる。他人がうらやましいと思うようなものでないとしても、自分にとってはそれが最適だ。だから、その結果に満足する。そして、選択を避ける人は、選択する人を見て、奇跡が起きたと理解する。奇跡は偶然であって、自分には起きないものだと自分に言い聞かせる。

選択する人は、何度も何度も奇跡を繰り返す。

じつは奇跡ではない。自分が望む展開を自分で選択し、そのように行動したに過ぎない。神がかりでもなんでもない。

選択とは、変化を自らつかむことでもある。変化を怖れたら選択はできない。そして、最適を選択することだ。最適以外の選択をしたら、自分がつまずく。

私は、独身時代、アクティブに行動した。全てを自分が選択した。今から振り返って、足りなかったこと、選択間違い、やり直したいことは、1つもない。他人がどう思おうと、私にとっての最適だった。

1999年に結婚してから2006年の小学校統合までは、妊娠、出産、子育ての繰り返しだった。自分で改築した家で、周囲に気を使うこともいらない環境で、子どもに集中できた。外に向けての活動は、ほぼしていない。あかちゃんと妊婦中心の生活だった。私は起業したり、仕事にのめり込んだりしていない。お金はたくさんはなかったが、今から振り返って、必要なものを買えなかったとか、やりたいことができなかったとか、経済的に苦しい思いをしたとか、そんな感覚もない。

2006年以降、妊娠、出産、育児は継続するのだが、長男が学齢期となり、次のステージが必要だった。子どもたちにとって、理想的と考える状況は、自然の中で、多くの大人や子どもたちと、のびのび創造的な活動を繰り返し、貴重な経験をつんでいくこと。このことは、今後の物語で展開するが、MAXで実現した。もっと大きな活動は子どもたちがついていけない。この時期も、必要なものを買えなかったとか、やりたいことができなかったとか、経済的に苦しい思いをしたとか、そんな感覚はない。

2011年には、次のステージが必要となった。妊娠、出産が終了し、末子が3歳となった。子どもたちが大きな世界を知り、知識や社会性や行動を広げていくことが必要だ。そして、私たちも、自分たちが外へ活動していきたいと望む。

それぞれのステージで、最適は全く異なるし、選択も異なる。仕事や住居をそのつど変えないといけないというわけではないが、ライフスタイルは変わるだろう。仕事も、住居も、変えることが最適ならば、変えればよい。選択するなら、実現する。

この物語は、現在、2006年が終わろうとしている。私たちは、ホームスクーリングを選択した。そして、ちょうど同時に、田舎が崩壊へ向かい始めた。廃校が原因ではない。トリガーでもない。世界のパラダイムの中で、ゆっくり、しかし加速しつつ、しかしまだ静かに進行していた。世界的な地殻変動であるゆえ、なかなか気づきにくいし、気づいても信じたくなかったのだが。

前へ前へ  TOPTOP  次へ次へ