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どたんば哲学

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[035]つるりと参上

  

 

積水化学工業さんが初めて森を見に来たのが、2007年10月。

じつはそのころ、よりこのおなかには4人目がいた。1月28日の予定日に向けて、ぐんぐん大きくなっていた。1人目、2人目は産科クリニックで出産したが、3人目は助産院で産んだ。3人目は陣痛が始まってから1時間40分という、スピード出産だった。4人目も同じ助産院で産むつもりだった。

秋頃までは、順調に来ていた。ただ1つ、問題があったのは、逆子だったことだ。出産までに直るだろうと軽く考えていたが、いつまでたっても逆子のまま。5ヶ月を過ぎると、エコーの写真で性別がわかるものだが、逆子のため、お股が写らない。いつまでたっても性別がわからなかった。私たちは、男がいいとか女がいいとか、どの子のときも考えたことはない。授かる命をお迎えすることに集中していた。今回、性別がわからなくてもかまわないが、わかるのが当たり前だったので、ちょっと不思議な感じだった。

12月4日、よりこが3人の子を連れて、助産院指定の産科医院へ検診に行った。

私の職場へよりこから電話があった。

「お医者さんに、すぐに入院しなさいって、言われたんだけど」

「え? なに?」

「逆子のまま、切迫早産なんで、緊急事態がおきてから病院に行っても間に合わないって」

よりこの体調は通常と変わらないので、心の準備ができていなかった。もちろん、生活の準備も、子どもたちの準備も、私の準備も・・・

よりこはいったん自宅へ戻り、入院の用意をする。私は仕事を切り上げて自宅へ戻り、よりこと子どもたちを連れて、紹介していただいた総合病院へ行った。

その病院では、未熟児対応の設備がなく、入院の受け入れが不可能とのこと。ここ3年ほどの間に、医療の現場は激変したので、いままで普通だったことが、急速に普通でなくなっているそうだ。この状況で入院を受け入れられる病院は半径100km圏内にはないと思ってくださいと言われた。

救急車で病院たらい回しが時々報道されていたが、それは日常的なことで、医療現場はどうにもならないのだと、その場に直面してわかった。

「もし、入院せずに自宅で過ごしたらどうなりますか?」

「逆子で切迫早産というのは、非常に危険な状態です。すでに産道が開きかけています。もしも産まれかけても、対応できるところがないでしょう。昔は、お産の3回に1回ぐらいは、あーあ、残念やったなで済ませていた時代がありましたが、現代の日本はそうではない。すべての子を安全に産んで育てることが求められています。あなたの場合、ことが起きてからでは間に合いません。いま、なんでもないと見えるうちに、病院と病室と主治医を確保しておくことが必要です」

なんということ! 医療(特に産科)が椅子取りゲームになってしまった?

先生は、一生懸命病院をさがしてくれた。ほんとうに、申し訳ないほど時間をさいてくださった。2時間かかって、自宅から車で1時間余りというところに、受け入れてくれる病院が見つかった。先生は、奇跡だと言った。

そのまま、病院へ向かった。即、入院。

さて、そこからがたいへんだった。

わが家は対応できず、社長にお願いし、3人の子を連れて会社へ行き、別室に子どもたちを置かせて頂いた。朝食、弁当、夕食、洗濯、片づけなど、全部私の仕事。社長の奥さまにもたいへん助けて頂いた。

数日の間つづけたが、限界。

私の母に頼んで、来てもらうことにした。日曜日の夕方、車で1時間かけて見舞いに行って、そのまま車で2時間走り、母を迎えに行く。金曜日の夕方まで童仙房に泊まってもらい、金曜日の夕方、見舞いに行ってそのまま母を母の家まで送る。土日は、私と子どもたちで過ごす。

これを繰り返した。

それはもう、たいへんだった。よりこにはゆっくり養生してほしかったが、よりこも私の大変さがわかるだけに、つらがっていた。

年末も正月も、家に帰れない。

年末には、よりこの母親に、年の暮れまで来てもらった。わが家は京都府南端、私の母は大阪、よりこの母は埼玉。

正月は、私と子どもたちで過ごす。子どもたちは、7歳、4歳、2歳。2歳児はまだオムツ。

1月2日、私はよりこに弱音を吐いた。
「もう、もたないかもしれない」

よりこは主治医と相談した。1月7日には、臨月に入る。その頃、帝王切開で出してもらう。私は同意書にサインした。いよいよ、終わる・・・

1月5日の朝3時、病院から電話があった。
「産まれかけています。帝王切開の準備をしていますが、間に合いそうにありません。自然分娩でいいですか?」

「最善の選択をお願いします。病院の判断に従います」

30分後、無事産まれたそうだ。立ち会いも間に合わなかった。

けっきょく、逆子のまま、何の問題もなく、つるりと出てきたそうだ。何のことはない。4人の子の中で、一番の安産だった。

自分たちの力ではどうにもできない状況が続いた。多くの人たちに助けて頂いて、ぶじ出産できた。赤ちゃんは、パパとママのしんどい状況をおなかの中で聞いていたのだろうか。切られちゃかなわんとでも、思ったのだろうか。結果オーライであったのは、どたんば哲学が作動したのだろうか。

「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

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