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どたんば哲学

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[043]地域の衰退、きわまれり

  

 

2008年秋に、苦労してキムチ製造の準備をし、2009年1月には、営業可能となった。

春先は、白菜が高い。内部の準備や体制づくり、試作品づくりなどを進めた。

ところで、キムチは今や、どこに行っても売られている。スーパーではかなり安い。私たちは、付加価値を高める必要があるのだが、それは、どうすればいいのか?

よくある「特産品」は、もともとあった商品に、新しい名前をつけ、新しいパッケージをつくった、というものが多い。最近は、そういう売り方ではなかなか動かない。中味そのものに手を加えなければ・・・

「今、目の前」に注目した。

私たちは、積水やコープと、森林保全活動をしている。密集した木々を間引くので、森林残滓(間伐材、枝、草など、森のゴミ)が出る。これらは利用価値がないので、そのまま森に置くこととなる。そうすると、やがて腐食して二酸化炭素を放出する。地球温暖化対策としては、意味が半減する。

コープは、ある程度は薪として使う。

しかし、今の時代、それ以上の利用方法がない。使い道がなくて困るもの・・・そこにこそ、最大のヒントがあるのではないか?

そして、思いついたのが、森林残滓を効率的に炭にして、畑に入れるという方法。炭を畑に入れると野菜や米がよく育つということは、農家ならだれでも知っている。問題は、炭が高価である点だ。燃料用の炭を使うから高価なのだ。どうせ土に入れるのだから、形はどうだって良い。固いより、ボロボロの炭の方が都合がよい。少々生焼けでもかまわない。木の種類だってどうでもよい。

うん、逆転の発想ではないか!!

5月から、炭焼きの試行錯誤を始めた。いかに効率的に炭をつくるか。重機を使い、大きな穴に木々を入れ、鉄板でフタをして、柴を重機で突っ込んで点火する。

かなり荒っぽいやり方だが、うまく焼けた。バーベキューで使えるような炭もできている。ボロボロに砕けた炭もある。

http://souraku.net/blog_forest/category/森の整備/炭

重機で取り出し、ダンプに積んで、畑に投入し、トラクターですきこんだ。

そしてまた、2005年にやっていた発酵液(微生物)も畑に散布した。

森の恵み、自然の仕組みを活用した野菜作りだ。こうやってつくった白菜等でキムチをつくれば良いのではないか?

試していくうち、さらに発見もあった。

調理で炭を使うということも、アリなのだ。試したところ、揚げ物には目立った効果があった。油の酸化を防ぎ、まろやかな仕上がりとなる。カラッと揚がるのだ。煮物も、崩れにくく、味がまろやかに感じる。

キムチを漬けるとき、容器に炭を入れておいた。すると、味が変わる。炭を入れた方が、発酵のスピードは遅い。発酵が、じわじわと、こってりと進んでいく感じだ。

いい感じで、商品開発が進みつつあった。

のぼりもつくり、チラシもつくり、通販サイトもつくった。すべて、外注なし。私がつくった。印刷だけ、印刷屋に頼んだ。

しかし、勢いよく売れる、とはならなかった。もっとも、立ち上げてすぐに軌道に乗るような商売はめったにないだろう。

かたや、私は、致命的な不足を感じていた。マーケティングである。

かつては、「いいものをつくれば売れる」という時代があった。どんどん消費が伸びている時代だ。それは、1990年代には終わった。しかし、田舎では、今なお、その残像を信じている。農産物が売れなくなっていくのは、ある意味、当然すぎるほど当然なのかも知れない。

工業製品であろうと、サービスであろうと、いまや、マーケティングなしには売れにくい時代である。都市から移住してきた私には、それがよくわかる。かつて田舎では、マーケティングなしで商売が成り立っていたので、いまなおその必要性を感じず、マーケティングを学んだり育てたりする風土がない。

田舎にどっぷり浸かっている私たち自身がそうだった。

やがて、キムチを製造するスタッフの状況が変わり、製造を休止せざるを得なくなった。

私は、これが、地域でできることの最後だったのではないかと思った。

とすれば、わが家は、どうなる?

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