世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[074]世界は救えるか?

  

 

私は、「成功者」と「偉大な成功者」を分けて考えている。

成功者は、ある程度大きな願望を成し遂げた人を言う。本人が満足しているだけでなく、他人が見てもうらやましいと思える状態なので、まあ、ぶっちゃけ、お金の話になってしまう。「サラリーマンが難しいほどの金額を稼いだ」とか、「不労所得を得て、お金の苦労から解放された」とか、「新しいビジネスを軌道に乗せた」とか、「独立起業し、経営者となった」とか。

素直に、いいなと思うし、うらやましい。その道を同じようにたどりたいと思う人も多く、彼らはセミナーをしたり、本を出版したり、情報商材を発売したりする。ビジネス塾を経営する人もいる。それだけ、次から次に需要があるのだ。

私は、そのような方々の「成功ノウハウ」もたくさん拝見した。

しかし、私自身が同じようになりたいかというと、逡巡がある。何とも言えない違和感。彼らは、望むものを得たが、幸せなのだろうか?

ややもすると、稼ぎの少ない人を見おろす視線を感じることがある。彼らは、「成功ノウハウ」をおおいに語るが、「成功哲学」は語らない。彼らにとってのお金とは、何だろう? 彼らにとっての幸せとは、「たくさんのお金があること」とイコールなのだろうか?

自分の「成功哲学」を語る人は、まず間違いなく、お金以外の何か(物質的な部分ではない)に大きな価値を置いている。

ジグ・ジグラーは、言う。「お金があれば、立派なベッドを買うことができるが、お金があっても安らかな眠りを買うことはできない。お金があれば人を動かすことはできるが、お金があっても信頼を買うことはできない」

ロイスクルーガーは言う。「お金と幸せを両立させなければ、本当の成功ではない。大事なことは、人格だ」

『ザ・シークレット』の著者、ロンダ・バーンは、続編の『ザ・パワー』で言う。「あなたはどんな望みでも実現できる。受けとるより先に、愛を与えさえすれば」

ほかにも、お金以外の「何か」を重視する成功者は少なくない。このような方々を、私は「偉大な成功者」と呼んでいる。そして、日本人にはそのような方はなかなか見あたらない。まったくいないわけでもないが、アメリカ人ほど多く見られない。

偉大な成功者たちは、何のために「成功」したいのだろう?

彼らは、自分なりの言葉で成功したい動機、というか、ミッションを語っている。おおむね、「世界を救いたい」ということのバリエーションの範囲内だ。

世界を救うなんて、人間には不可能だ。どこまでいっても、世界が「完全なもの」になるはずはない。世界を救い終えることは、不可能だ。世界を救うプロジェクトを完成することはあり得ないが、世界を救うミッションを持つことは、誰にでも可能だ。

ここは、意外と盲点になる。

現実化することは不可能だが、想うことなら不可能はない。そして、世界を救うミッションを持つことの効果は絶大だ。自分という器が大きくなる。全ての他人を大事にする。お金よりも信頼を大事にする。分け隔てなく他人を幸せにしようと、知恵を絞る。自分にできることを一生懸命探そうとする。何においても感謝を忘れない。他人との競争に勝つよりも、多くの人と協調することを考える。

そうだ、偉大な成功者たちは、感謝の力を強調する。感謝は強力なパワーを持つと。

成功とは、お金を稼ぐために努力した結果なのではなく、特定の誰かではなく、あらゆる人に幸せを提供しようと努力した結果なのだという。それがビジネスの本質だという。

世界を救うというミッションを持つことは、簡単だ。持つことのできない人はいない。スキルも学歴も不要だ。人種、民族、年齢、性別、いっさい問わない。いますぐ可能だ。お金もかからない。

偉大な成功者たちは、ビジネスの話をするのだが、聞けば聞くほど、宗教や道徳との差がなくなってくる。そして、偉大な成功者たちが手にする富はけた違いの規模である。個人が必要とする次元ではない。

私は知らなかった。

ビジネスと宗教(道徳)が同じであることを。

お金が汚いものであるという思い込みは、いったい何だったんだろう?

成功ノウハウを勉強することは、あまりいい気持ちがしないが、成功哲学を勉強することは、じつに気持ちがよい。私も、偉大な成功者になりたいと、心底そう思う。自分が抱える問題は、全てが解決する。地域の問題も。

そのために、何をすればいい?

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