世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[076]偉大な行動はどこから生まれるか?

  

 

「偉大さ」というと、私たちには関係ないことだと思ってしまう。「普通の人」とはかけ離れた世界だと思ってしまう。私たちはどこまで行っても「ふつうの世界で普通に暮らしている普通の人」なので、偉大な人とは生まれつき違う世界に住んでいると思う。自分が偉大になりたいなどと考えるのは傲慢だし、まるで幼い子がウルトラマンになりたいというのと同様、馬鹿げた妄想だと思ってしまう。

しかし、偉大な成功者は、まるで違うことを言う。

凡人と偉大な人間を分ける固定的な違いは存在しない。偉大になれない人間は存在しない。偉大な人も多くは、偉大になる前は凡人だった。偉大になるために必要なものは、信念と勇気と行動だけであり、それ以外のスキルや資金や様々な環境は、あとからついてくる、と。

凡人が偉大になれない最大で唯一の原因は、「自分は偉大ではない」と思っていること。それに尽きる、とのこと。

凡人は、「自分さえよければ」とか、「家族を守るために全力を尽くす」とか、せいぜい「会社または地域に貢献したい」と考える。そして、その願いを達成することさえ、なかなか実現できない。かえって、願いが遠ざかることが普通だ。

なぜか。

世界から切り離して小さく限定的なことを目指そうとするから、現実から離れてしまうのだ。「世界なんて大きすぎるから、そんな大それたことは考えずに、一生懸命家族を守りたい」と多くの人が思うのだろうが、そんなことはどだい不可能な話なのだ。大きかろうと小さかろうと、世界の中で家族が存在し、生きていることはまぎれもない事実だ。

偉大になるという考えは、世界を救うというミッションをもつことに他ならず、きわめて現実的で謙虚で成功への最短コースだ。私は、勘違いをしていた。いや、今まで、「世界を救うというミッション」はなんとなく持っていたが、強い信念にはなり得ていなかったし、偉大になりたいなどと思ったこともなかった。自分の行動が誰かにどんなふうにか役立つといいな、世界が良くなるといいな、という程度にしか思っていなかった。

これはまずい。まるで他人事だ。
(これでも、どたんば哲学は要所要所で作動してきたのだが)
目の前の課題はかつてなく大きい。こんないいかげんなミッションではダメだ。今までと同じわけにはいかないだろう。

世界を救うために、全力を尽くさせて頂こう。そこに、あらゆる問題解決と幸せがある。偉大な成功者たちのおかげで、そう思えるようになってきた。

では、何をすればいいのか。

偉大な成功者たちに学べば、皆が同じことを言っている。

「今、目の前」だ。成功はそこにある。

人は皆、偉大になれる。とはいえ、生まれ育った環境、持って生まれた資質は、人それぞれだ。それを生かすのだ。どんな偉大な人も、最初は凡人だった。ゼロ、またはマイナスの状態から偉大になっていった人がほとんどだ。世界の伝記を見ても、生まれつき恵まれているケースは少ない。たいがい、私たちよりよほど不遇な境遇を忍び、偉大になっていった。

彼らが自らの偉大さの芽を見出したのは、まさにその「不遇な境遇」が財産となっている。私たちは、自らの不遇な境遇を嘆き、それを変えようとする。その境遇を否定し、消し去ろうとする。ここに最大の間違いがある。偉大な人が偉大になってから得た境遇を見て、そのような境遇がないからダメなのだと勘違いし、あるはずのない「境遇」を手に入れようと探し求める。それは無理だし、無駄な努力だし、永遠に成功から遠ざかる。

この世界は、どんな生き物も、物質も、有機的に関係を持ち、「お互い様」で成り立っている。競争の原理は現実にはどこにも存在しない。弱肉強食といえど、ほんとうにそのような原理が世界を支配しているなら、強者が弱者を滅ぼし、強者自身も自ら滅んでしまう。世界はそうなっていない。ごく一部を切り取ってみれば、弱肉強食に見えるだけのことだ。

何か1つの存在が他を牛耳ることもできないし、何か1つの存在が世界から独立して存在することもできない。それを認識し、その原理の中で最良の生き方を目指すことが、「世界を救うというミッション」を持つことに他ならない。

自分は、この世界で生きている以上、世界と、どういうふうにか、つながりを持っている。そのつながり以外の何かを求めるのは、馬鹿げたことだ。

自分の環境、資質、境遇が、どれほどみじめで情けなく見えようとも、それこそが、世界と自分の接点に他ならない。その接点のゆえに、自分は存在し、生きている。

答えは簡単だ。世界との接点に集中すべし。具体的に言うと、「今、目の前にフォーカスする」ということだ。

今、何かの仕事をしているなら、転職や独立をただちに考えるのではなく、その仕事を最高に勤めること。お茶くみや、コピー取りであっても、トイレ掃除であっても、機械のオペレーターであっても、今している仕事に対して、自分の最大の能力を注ぎ込む。「こんな仕事」と馬鹿にしてはいけない。

今、何かの勉強をしているなら、自分の最大の能力を注ぎ込む。「私はアホやから」などと考えても無意味だ。アホならアホでよいではないか。能力の最大値を集中させることは、アホであるかどうかと関係ないのだから。

今、毎日、家事に追われているなら、家事に最大の能力を集中させる。最高の家事を行う。

今、病気と闘っているなら、病気との闘いに最大の能力を集中させる。

今、何かの問題を抱えているなら、その問題への対応に全力を注ぐ。

「フォーカスする」というのは、それ以外のことは考えないという意味だ。偉大な成功は、そこから始まる。例外はない。

では、私にとっての「今、目の前」は、なんだろう?

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