世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

どたんば哲学

[078]どたんばこそ、宝

  

 

ふつうに日常生活を送っていると、世界を救うなんて意識しないし、「今、目の前」へのフォーカスも考えない。あれこれ、用事も多いし、やらなきゃならないこともたくさんあるし、やってみたいこともたくさんあるし。

すると、とりたてて大きな成功や奇跡が起きることもないし、偉大になろうなんて考えもしない。粛々と日々が過ぎていく。

わが家は今、どたんばだ。地域もどたんばだ。

すると、何とかしようと一生懸命になる。くだらない言い訳をしている余裕はない。あれこれ手を広げる余裕もない。結果が出なければ、ジ・エンドである。「できればいいな」なんてのんきなことは言っていられない。必ずやらねばならない。失敗してもしょうがないなんてことはない。失敗はあり得ない。

かなり厳しい状況だが、じつは、どたんばは、すばらしい。

家族で危機を共有し、一生懸命、未来を考えている。のんきな日々からは生じない。私たちはどうありたいか、何を目指したいか、何をしたいか、子どもたちもまじえて、毎日未来を考えている。

どうやって未来を創り出すか、一生懸命勉強し、試行錯誤をしている。この取組は、じつに心地よい。のんきな日々においては、成長は生まれにくい。今、私たちは、毎日、ぐんぐん成長している。

家族に、地域に、日本に、世界に、感謝がつぎつぎとあふれ出てくる。のんきな日々においては、当たり前にみえることが、どたんばではとてもありがたい。

どたんばに感謝したい。どたんばでは、余計なことは考えない。世界に感謝する気持ちが自然と出てくる。不思議な感覚だ。そして、希望がないように見える状況でこそ、未来への希望があふれ出てくる。のんきな日々においてはこんなことは生じない。

私たちの状況は、いまなおどたんばなのに、気持ちはすっかり拓けた未来にいる。なんとすがすがしい日々だろう。

ここ5年ほど、わが家は急速に変化した。これらの変化は、わが家から見れば、新たな価値の創造に集約されていく感じがする。

ホームスクーリングは、もともと大きな考えで始めたものだ。今なら思う。世界へ新しい価値を創造する力を養うためのものなのだ。京大、積水、コープとの活動もそうだ。ふつう、こういう活動は3年も続けるとマンネリ化し、じり貧になることが多い。が、この3つの活動はじわじわ発展している。定型化された活動ではない。それぞれ、新しい道を拓くようにして進めている活動だ。

京大に教えて頂いている生涯学習の概念は、学校教育とはまったく異質だ。新しい価値の創造は、このようなベースが必要なのだろう。

輸出で学んだ。世界は近い。国家はあれども、私たちの感覚ではボーダレスだ。世界の人々は、やさしく、愛にあふれ、お互いの喜びや悲しみをシェアしようとする。世界は美しい。世界はすばらしい。世界はいとしい。

成功哲学を学んでいる。偉大な成功者たちは、世界を愛し、世界を救おうとしている。私たちも仲間入りをさせてほしい。

どんな人々も、人生を一生懸命生きている。世界はなんて美しいんだろう。

どたんばは、私たちにこのような思いを抱かせてくれる。私たちは、どたんばで学んだことを、世界へお返ししたい。受けとる一方では、罰が当たる。

世界を救おうと考えることが、日本の片田舎である童仙房を蘇らせることにつながる。世界は、様々な問題を抱えている。そして、その解決策は、意外と、世界の中のどこかにある。自分の身のまわりしか見ないから、行き詰まってしまう。童仙房の問題の解決策は、世界のどこかにある。逆に、童仙房に、世界の問題を解決できる力がある。

個人で見ても同じだ。私は、誰かの問題を解決できる。誰かが私の問題を解決できる。

具体的に考えたのは、こういうプランだ。

言っていいだろうか? きっとあなたは笑う。

笑われるのはかまわないが、実現にブレーキをかけたくない。

だって、本気で実現しようとしているのだから。

というか、私とよりこの頭の中ではすでに実現している。

うーん、あなたに話すかどうか、明日まで考えてみよう。

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