世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[081]発展のための核心

  

 

わが家が抱えている課題、地域が抱えている課題、その解決のためにこそ、私たちは、世界を救うというミッションを持ち、精一杯のことをさせて頂きたいと思います。

前回、構想をある程度までお話ししました。

童仙房に、多彩な外国人に住んで頂き、情報産業を主にして新しい産業を興します。田舎の伝統的な文化や暮らしの中に、世界の課題を解決できる部分が多くあります。それらをビジネスとして構築したい。

ビジネスが生み出す富を、地域へ投資したい。インフラ整備、予防医療、福祉など。この投資は、ビジネスを支える基盤ともなります。

情報産業は、地元のお年寄りと、スキルの高い外国人のコラボになります。

その拠点として、たくさんのゲストを迎え入れられる大きな家が必要です。童仙房の不動産が散逸しない取組も必要です。

さて、ここまでの話で、かんじんかなめ、重要な核心部分が欠落しています。「どうやってそれを現実のものにするのか?」です。
反対に考えましょう。ここまでの構想を、さあ、やろうとして、すぐに動かない理由は何か。

情報産業の中味はどんなものなのか?
つまり、世界が必要とする価値を、どうやって見出すのか?
スキルのある外国人にどうやって童仙房へ住みたいと思って頂くのか?
つまり、彼らが童仙房に住むメリットは何か?
メリットが大きければ、デメリットは問題とならない。
そもそも、どうやって大きな家を建てるのか?

結局のところ、時間を切り売りする労働では実現不可能な話です。価値を創造する思考がないと何も動きません。「価値の創造」ですね。肝心は。そうです。価値の創造そのものを価値とできないか。

創造した価値を売るのではなく、価値を創造する方法をビジネスにできないか、という考え方です。世界が抱える問題は、自分で必要な価値を創造できれば、まずほとんどが解決できます。不平不満を言う必要もありません。

食糧問題も、貧困も、格差も、環境問題も、戦争も、様々な危機も、人間関係も。

「価値を創造する力」とは、言い換えれば、如意宝珠かもしれないし、打ち出の小槌かもしれないし、アラジンの魔法のランプかもしれません。

そのような「力」は非現実的なものでしょうか?

私たちは、ものすごい勢いで科学や文明を発達させてきました。これは、打ち出の小槌とは違うでしょうか?

また、成功哲学を研究する中で、人間のもつ「力」が無限であると理解するようになってきました。そして、そのような力は、特別な人にだけあるのではなく、誰にでも存在し、誰でも使うことができると、あらゆるところで同じことが言われています。

魔法でもなんでもありません。

そして、そのような力は、「正しく」使ってこそ、最も発揮されるとも、説かれています。競争に勝つためには機能しません。共存共栄にしか働きません。これは、あらゆるところで言われています。要は、自分も他人も幸せを実現するためにしか「常識を越えた力」は働かないとのことです。

だから、ビジネスの成功も、自分の利益より、お客様や投資家や社会など、他者の幸せを先に考えないとうまくいかないという話になってしまいます。

このような「価値を創造する力」は、学びそのものです。知識やスキルを得るための学びではありません。学校教育とは根本的に違うものです。世界中に開放したい。インターナショナルスクールと考えています。

できれば、入学金や授業料は無し(あるいは低額)としたいです。どんな貧しい人でも力を身につけられるよう、そして、自らの問題を自らが解決し、自らの幸せを自らが創りだしていけるよう、道を拓きたいです。

「価値を創造する」のですから、イノベーションです。様々なビジネスが立ち上がるでしょう。そうして生み出された価値を、学びへ投資したい。学びたい人から資金提供を受けるのではなく、創造された価値、つまりアウトプットから次なる学びへ資金を投入するというシステムを構築したいです。

世界中の文化、宗教、知恵、習慣、体験などを融合すれば、何が生まれるでしょうか? 私が教えるのではありません。私は、そのような場を創るのです。近代文明は、個別の差異を切り捨て、抽象化することで、ここまで発展してきました。

その文明は、曲がり角に来ています。

これからは、「個」が自立する流れにあります。文明や知恵も、切り捨ててきたはずの「個」を再構築することが、求められています。新しい文明は、そこから生まれます。

世界中の宗教や文化や様々な知見に、「価値を創造する力」が表現されていると気づきました。近代文明は、これを切り捨てていました。巨大なシステムに価値を創造させてきました。

インターナショナルスクールが、わが家の構想の肝です。先生と生徒という概念は適切ではないでしょう。何を隠そう、わが家の子どもたちこそ、最初のメンバーです。

じつは、インターナショナルスクールの構想は、どたんば哲学から生じています。それは、次回に。

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