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どたんば哲学

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[085]創造は神仏の世界か

  

 

創造は、何もないところから、新しい何かを生み出します。既存の何かを組み替えて新しい何かを創りだしたとしても、それが持つ価値は、ゼロから産み出されたものです。

言葉で言うのは簡単ですが、何もないところから産み出すプロセスをどうやって意図的につくりだせるのでしょうか?

偶然や運を排除して、かならず成し遂げられる創造というものがあるのでしょうか。キリスト教を始め、多くの宗教で、天地創造が語られています。何もないところから、世界が創られたと言います。

創造を追求していくうちに、あることに気づきました。

たくさんの情報を得ることで、混乱する人もいます。反対に、たくさんの情報を得て、新しい発見をする人もいます、その違いは、情報を表層的に見るか、高い次元から俯瞰するかによります。

例えば、キリスト教と仏教はかなり違います。キリスト教は唯一神ですが、仏教には大勢の仏があり、仏に優劣はなく、組織化もされていません。キリスト教では、神と人間は厳格に分けられていますが、仏教では、人間は仏になり得る存在であり、即身成仏という概念は、煩悩を抱えたままの姿で仏のように生きることを示しています。他にも、非常にたくさんの違いがあり、両者は相容れないようにも見えます。

しかし、そのいっぽうで、人を傷つけてはいけないとか、ウソをついてはいけないとか、盗んではいけないとか、正直に生きることが大切だとか、人生の基本哲学はおおむね同じです。他の宗教でも、ほぼ同じ原理が説かれています。

世界中にたくさんある宗教は、バラバラのものであるようにも見えますが、かたや、ほぼ同じ基本原理が説かれています。

基本原理の部分が、絶対的な真実であり、宗教ごとに違って見える部分は、基本原理を理解するための手立てであると考えるとどうでしょう? 全ての宗教は、1つの原理を示していることになります。

それから、どの宗教でも、神や仏は、人間を救おうと一生懸命活動をしています。神や仏には人智を超えた能力があります。だったら、その力を使えば簡単に救えそうに思うのに、わざわざ回りくどいことをしているように見えます。それなら、宗教は全て虚構なのか、と思うに、世界中で様々な宗教が熱心に信仰されていることを考えれば、なにかありそう。というか、成功哲学がかなり宗教と近いです。

こうして見ていくうちに、あらゆる宗教や成功哲学や科学を成り立たせているシンプルな基本原理に気づきました。前にも書きましたように、このようなものです。

世界は心そのもの。心には、大いなる存在も魔もいる。世界と心は偉大な法則が治めている。偉大な法則は、世界の調和を保ち、発展を導く。全ての人間が心を持つので、全ての人間は偉大になれる。世界(心)は、あらゆる価値、物質、富を無限に創造できる。それが偉大さだ。偉大さとは、世界を発展させることである。

神や仏は、自然そのもの、世界そのものであり、天地創造は、世界が世界を創造したにほかなりません。

では、神や仏の力とは何か。創造でしょう。これ以上の力はないでしょう。新しいものを生み出す力。最高の力です。このような創造の力が最も働くのは、いつでしょうか? 深刻な課題に直面し、抜き差しならぬ状態、つまり、どたんばです。しかし、どたんばであれば無条件に力が働くのかというと、そうではありません。「世界を救うというミッション」が必要です。これがなければ、神や仏ではありません。人間がどたんば状態に対するとき、このミッションがなければ、目標管理型で行くしかありません。創造は生まれません。神や仏は、あくまでも象徴であり、世界が持つ原理や力を人間に理解しやすいよう伝える手段だと考えれば良いと思います。

偉大な成功者たちは、この力を積極的に使っています。神や仏と同じように考え、同じように行動する。そこへ創造の力がどんどん働いていく。

どのように検証しても、こういう結論にたどりついてしまいます。

すると、私自身が、この力を追求して、活用し、自分や地域が抱える問題を解決したいと思うと同時に、世界中の、深刻な問題を抱える人たち、世界を救うというミッションを強く持つ人たちに、この原理を伝え、世界を変えていきたいと強く思うようになりました。

例えば、食糧難や紛争に生存を脅かされている人たちがいます。その中の1人が、創造の力の使い方を学んで頂ければ、母国へ帰り、世界を変えられます。
固定した格差に苦しむ人たち、医学で治らない病気で苦しむ人たち、災害で苦しむ人たち、いじめで苦しむ人たち、必ず道があります。絶望しかないように見えるのは、最大のチャンスです。

対立や競争ではなく、創造で世界を変える。すばらしいではありませんか。

創造の力は、何によって学びうるのか。宗教はとても参考になりますが、1つの宗教だけでは基本原理が見えにくいです。世界中の、宗教、ビジネス、文化、神話、風習、または、個人の体験、価値観、人生観、こういった、「個々」をつなぎ合わせるほど見えてきます。学校教育のように、「個々」をそぎ落としてしまうと、基本原理がわからなくなってしまいます。人間の力であらゆるものをコントロールし、なんでも意のままに操ろうと考えてしまいます。創造などという管理できない原理は排除してしまいます。私たちが考えるインターナショナルスクールは、世界中の個々を学び、個々をつなぎ合わせることから、創造の力を培おうとするものです。

そのためには、どんなに貧しい人でも学べるスクールでないといけない。そんなビジネスが成立するのか?うーん・・・

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