世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[087]幸せとは何か

  

 

幸せとは何か。昔々から、多くの方々がこの問題に答えを出そうと挑んできました。しかし、いまだに、確たる答えは見出されていないようです。

しかしながら、幸せは、全ての人が求めています。おかしいですね。誰も正体を知らないのに、全ての人が欲しがるなんて。宗教は、人を幸せに導くことが目的のはずですが、幸せについて明示されているものがあるでしょうか? 天国とか、極楽浄土がそうなのかもしれません。でも、ちょっと腑に落ちないのですが、天国や極楽浄土がいいところであるというなら、どうして、神や仏はわざわざ汚れた人間の世界にやってきて、私たちを救おうとするのでしょうか?

偉大な成功者たちを見て、彼らはいったい何を目指してあのようなたぐいまれな力を発揮できたのだろう?と、不思議に思います。

私たちは、「幸せになりたい」と思いますが、「幸せとは何か?」と聞かれるとなかなか答えられません。神や仏、偉大な成功者、私たちを並べて、気づきました。

幸せなんて、もともと、ないのとちゃうか? ないから、答えが出せないのとちゃうか? 私たちは、もともとないものを手に入れようとして苦労しているのとちゃうか?

偉大な成功者たちは、「幸せになろう」とがんばっているのではなく、「世界中を幸せにしよう」とがんばっているのです。神や仏も、自分の幸せを求めているのではなく、世界を救うということに全力を尽くしています。

私たちは、真実を逆転させてしまっているのではないか。幸せというものが、何か実体があるものなら、定義づけることができるはずだが、幸せというものは蜃気楼のようなものではないか。自分の幸せというものは追えば消えてしまうものなのではないか。「世界を救う」という思いを持って生きることが幸せなのではないか。幸せという概念が、正しくはこちらから向こうへ矢印が向かっているのに、私たちは、こちらへ向かっているものだと勘違いしているのではないか。

「幸せになりたい」と思えば、永遠に幸せにたどり着けない。「幸せにしてあげたい」と思えば、幸せが手に入る。それが幸せの正体ではないか?

だったら、「幸せとは何か?」という問いの答えは、「世界中の人を幸せにすること」となる。これは、無限ループだ。幸せは定義されないことになる。幸せという言葉を使わずに言うと、「世界を救う」ことになりそうだ。

以上のようなことを発見しました。

これは、学校では習わない原理です。学校では、自分が手に入れたいものや達成したい目標を定め、スケジュールを組んで実行します。幸せという目標を定め、計画を組んで実行するというスタイルでは幸せは実現されないことになります。

手に入れたいものは逆向きに考えよ、ということですね。

よく考えると、このような言い方は、あちこちに見られます。

「ビジネスで成功したかったら、お客様の幸せを第一にせよ」
「愛されたかったら、まず相手を愛せ」
「相手を変えたかったら、まず自分が変われ」
「欲しいなら与えよ」
「理解されたいなら、まず相手を理解せよ」
「信頼されたいなら、まず相手を信頼せよ」

探そうと思えばいくらでもみつかります。上であげた例は、幸せと感じられることのひとつでしょうが、みな、逆を向いています。真実は、普通に思うことと逆向きであると言えそうです。

幸せは、相手に与えようとすることで得られます。得られるものは何でしょう? 感謝されること、信頼されること、尊敬されること、愛されること。物質的なリターンがあるかも知れません。

こういったものは、得ようと思えば思うほど、遠ざかってしまいます。

幸せは、目標管理型では達成できません。定義できないから、当然ですね。でも、人は何のために生きているのか?と問われたら、「幸せになるためだ」と答えたいです。何のために努力するのか?と問われたら、「幸せになるためだ」と答えたいです。

幸せの実現は、創造以外の何者でもありません。そして、創造には、逆向きのアクションが必要です。自分へ向けるのではなく、相手へ向ける。世界へ向ける。

つまり、世界を救うというミッションを持って生きることが、幸せそのものであり、創造の力そのものとなっていきます。

これこそが、神や仏の力そのものなのでしょう。

では、そのような力は、だれでも持っていて、誰でも使えるものなのでしょうか? それとも、選ばれた人にしか使えないものなのでしょうか?

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