世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする

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どたんば哲学

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[088]創造の開放

  

 

創造の力は、神や仏の領域でしょうか。それとも全ての人に許された宝でしょうか。

創造の力は、私たちが欲しいもの、必要とするものを自由自在に生み出し、苦しみや課題を解決し、幸せに近づけるパワーです。前回まで、創造の力について、いろいろ書いてきましたが、まとめるとこんな感じになります。

(1)創造は偉大な心から生じる。
(2)偉大な心とは、世界を救おうとさせて頂く謙虚な心。
(3)豊かさマインドである。(世界の物質、価値、富には制限がない)
(4)イノベーションの源である。
(5)世界は心と等しい。
(6)調和と発展のために働く。

(7)学びそのものである。(学校教育とは異質)
(8)世界中の宗教、知恵、体験、習慣、文化、神話、伝説などに秘められている。
(9)目標管理型、PDCAサイクルとは無縁。

(10)世界を救うというミッション。
(11)今、目の前へのフォーカス。
(12)どたんばこそ宝。
(13)選択、決断、自立、自信、信念。(依存は大敵)
(14)感謝の心。逆のベクトル(自分から世界へ)。
(15)実現の過程はわからなくてもよい。
(16)前提条件はなにもない。(スキル、資金、人脈、学歴等)

創造の力を使って、何かを発明、発見したり、世界を変えたりした人々は、これまでに世界中に大勢います。彼らは、どうやって創造の力を知ったのでしょう?

彼らの幼い頃の体験であったり、親や知人からの教育であったり、メンターからの指導であったり、信仰であったり、書物であったり、様々です。創造の力は、世界中のどこにでも、得られる手段があるようです。世界各地に伝わる神話や伝説にもヒントが散りばめられています。人類最大の知恵であり宝ですが、とくに秘密にされているわけではありません。

では、創造の力を使うのに、特殊な条件がいるのでしょうか? 私たちは、どうしてもそのように考えがちです。「私は偉大になどなれない。特別な人間ではない」と思い込んでいます。じつは、創造の力を使うことを阻んでいるのは、外的要因ではなく、私たちの「できない」という思い込みだけなのです。あえて、条件をあげるなら、「自分の思い込みを捨てる勇気」です。

簡単なことです。自分の思いを変えるだけです。

しかし、これが、最も難しい。宗教において、最大の強敵は、自分の心の中の「疑い」というささやきだと、聞いたことがあります。疑いとは、「私には成功をつかめないかもしれない」「私は幸せになれないかもしれない」という、自分への疑いです。

こういう疑いが何をもたらすかというと、自分で考え行動することをやめさせ、他人へ依存させます。自分で考え行動するには、責任が伴います。他人への依存とは、国家、神仏も含みます。依存から生じるのは、不平不満です。

ところで、「疑い」の内容は、矢印が自分へ向かっていることに気づきましたでしょうか。自分が得られるかどうかを考えています。

これは幸せと相容れないものです。

疑いを破る秘訣が、どたんば哲学なのです。
「世界を救うというミッションをもって、今、目の前にフォーカスする」

世界を救うという完成形が必要なのではありません。世界を救うために行動させて頂こうという思いが必要なのです。偉大になろうと考える必要はありません。すなおに、謙虚に、させていただきたいと思うだけ。

今、目の前へフォーカスできない人もいません。今、目の前は、日常そのものですから。

どたんば哲学は、矢印を自分から世界へ向ける行動です。ここに、創造の力が働くのです。だからこそ、奇跡が起きるのです。

どたんば哲学は、私の専売特許ではありません。人類の知恵の偉大な蓄積です。だれもが使えるように、わかりやすい形で開放したいと思います。

創造の力を使えば、世界の課題を解決できます。解決するのは、当事者です。当事者の1人が、創造の力を使えば、皆が救われます。

あなたが、どたんば哲学を知って、自分なりに創造の力を使い、問題を解決したり、幸せを創りあげたりすることは、じゅうぶん可能だと思います。

でも、世界には、とてつもなく大きな課題もありますし、どたんば哲学を知ることができない人たちも大勢います。その方のために、童仙房でインターナショナルスクールを運営したいと構想しています。

どうやって運営するのか。次回に。

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