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創造の力シリーズ

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政治

  

1.自分の願望のとおりに行動しよう

誰でも願望を持っているはずだが・・・
遊園地

不思議な話ですが、人にはたいがい誰にでも、いや、たぶんすべての人に、何かの願望があるはずです。願望とは、次の2通りでしょう。

欲しいもの(物、人、状況、出来事、他人からの評価など)を手に入れたい

欲しくないもの(物、人、出来事、状況、他人からの評価など)を遠ざけたい

でも、その内容は、人によって、千差万別で、互いに競合する場合も多いでしょう。

人として生きていれば、何かの感情はあるはずだし、どんな大富豪や国王にも完璧な環境はあり得ないので、何かの願望はあるはずです。もし、完璧な環境に生きているなら、トラブルを望むかもしれませんね。(^_^;

とはいえ、願望が実現するように生きている人は、きわめて少ないです。

人は、自分の願望のとおりに行動していない

たとえば、健康が欲しいと願っていながら、不摂生を続けたり、健康になるための努力をしていない人。
たとえば、体重を減らしたいと願っていながら、運動を嫌い、甘い物を食べ続けている人。
たとえば、もっとお金をほしいと思いながら、仕事を一生懸命しようとしない人。
たとえば、試合で勝ちたいと願いながら、必死に練習しない人。

こう書くと、「そりゃ無理やろ、あほやなあ」と見えるでしょうか。でも、ほとんどの人は、こういう類のことをしています。それを認めたくないので、理由を考えます。

「お金がないから無理」
「教養がないから無理」
「技術がないから無理」
「時間がないから無理」
「景気が悪いから無理」
「社長が悪い」
「政治が悪い」
「どうせ無理。やっても無理。やるだけムダ。」

で、その言い訳は誰に対して言っているのでしょう? たいがいは、自分に対してです。自分が望むことに対して、自分が行動しないことの言い訳を、自分が自分に対して言っています。他人の願望ではないので、他人に言い訳してもしょうがないです。で、自分に一生懸命言い訳しています。

これは、自分に対しての暗示や刷り込みになっています。自己催眠の一種かも知れません。ちょっとこわいですね。自分の望みが実現しないように、自分を改造しているという感じ。

願望に対しては、それが実現するように行動することが不可欠です。

良い世の中を望むなら・・・

多くの人は、良い世の中を望んでいるでしょう。良い世の中がどのようなものであるかは、人によって同じではありません。しかし、自分にとって暮らしやすい世の中を望んでいることでしょう。

では、そのためにどうするか?

世の中は、自分一人でどうこうできるものではないので、国とか、地方自治体にお願いすると考えるのがふつうでしょう。そのために税金を納めていますね。消費税を考えると、子どもでも税金を納めています。

そして、政治や行政に満足している人は少ないでしょう。たいがい、不平・不満を持っています。不平・不満があるなら、その逆が願望ですから、願望実現のためにどんな行動をしているでしょう?

陳情?要望?または酒を飲んで憂さ晴らし?それは行動ではありませんね。

選挙で投票する? それも行動の1つでしょう。しかし、当たり前のことですが、仮に、私が投票した候補者が当選したとしても、その人は、私のために行動するわけではありません。候補者に願望実現を期待したなら、失望に変わることが多いはずです。その候補者や政党が悪いのだと考えるのは自由です。では、そう考えて、私の願望は実現するでしょうか?

政治の限界

全ての人の意見を聴いてそれらを実現するということは、不可能です。よほど小さな集落でない限り、直接民主主義は物理的に不可能です。だから、間接民主主義、すなわち、選挙で代表者を選んで、私にとって良い世の中にしていただくよう、委託するという仕組みが、20世紀の民主主義です。

チャーチル

イギリスで第二次世界大戦中に首相を務めたウィンストン・チャーチルは、こう言っています。「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」

なかなか意味深です。ヒトラーでさえ、選挙で民主主義的に選ばれたのです。そのヒトラーと、死闘を繰り広げたチャーチルの言葉です。では、民主主義よりすぐれた政治形態があるのかというと、見あたらない。ヒトラーを生みだすような政治形態を守り改善していくしかない。なんと、厳しい現実でしょうか。

そしてその民主主義は、今なお、世界の本流です。多くの先進国では、その民主主義を採用しています。民主主義を採用していない国は、独裁政治と見られがちです。

民主主義の問題点は、多数決でしょう。ヒトラーが政権を取ったのも多数決。その後、すべて多数決で決まっていきます。賛成者で固めれば、すべてが多数決で承認されていきます。

多数決で人々のだいたいの意向が実現するなら問題は少ないでしょう。でも、人々の意向とは別に多数が固められてしまえば、民主主義は暴走します。これは、悲劇です。ヒトラーだけでなく、現在の日本でも、いたるところでこの形が見られます。

もう一つの悲劇は、願望の多様化です。イエスかノーかだけでは処理できなくなりつつあります。しかし、多数決は、イエスかノーかの二者択一です。

選挙で選ばれた政治家がたとえ善意であったとしても、この民主主義の仕組みにおいては、「私の願望」を実現するのは困難です。

不平・不満を言うのは自由です。でも、えんえんと言い続けるしかないでしょう。

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