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創造の力シリーズ

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政治

  

2.多数決でなく多様性

物事の決め方

集団で、何かの意志決定をする場合、いろんな決め方がありますが、大きく分けて次の3通りでしょう。

1.ある1人の決定を全体の決定とする。

2.全員一致

3.多数決

1人が決めてしまう形が、最も決断が早く、最も物事が進みやすいです。独裁政治もこれですが、意外と日常的に多用されています。その集団で、最も人望がある人がリーダーであれば、その人の決定にメンバーは積極的についていきやすいです。会社の社長とか、宗教組織の教祖とか、地域の長老とか。リーダーがすぐれた人格者であれば、この形は非常に良く機能しますが、独善的な人であれば、メンバーを従わせるには、権力やアメやムチなどを必要とするでしょう。

会議

全員一致は理想的ですが、なかなか現実にはあり得ない決定方法です。反対意見が存在しないので、そもそも実行に障害がありません。ある程度少人数でじゅうぶん議論を尽くした末の全員一致はあるかも知れませんが、全員一致は最も危険な決定方法だと思います。意志決定のためには異論が存在してはいけないので、メンバーが持つ思いや考えを表面化させないことと表裏一体である可能性があります。そうなると、全体主義です。暴走が止まりません。

多数決は、妥当でなくとも最もマシな決定方法と言えそうです。1人が決めるのも、全員一致も、かなり危ない方法です。いったん決定されると、修正も見直しもしにくいです。1人が決めることと、全員一致は、じつは同じものであることもよくあります。それを思うと、多数決は最善でなくとも穏便な方法に見えます。

多数決の落とし穴

多数決は、少数意見を切り捨てるという乱暴な側面ももつので、少数意見をじゅうぶん尊重することが必要です。

しかも、独裁政治や全体主義に匹敵しかねない怖さもあります。

ある意志決定をするために、半数の賛成者を確保すればいいです。自分と合わせれば過半数です。すると残りの人たちを無視することができます。多数決に参加するメンバーは立場が対等で、誰にも気兼ねなく自由に意思表示ができるときに有効に機能しますが、実際にはそんな場面は少なく、メンバー間に力関係や遠慮が存在します。

すると、賛成者の確保をするのではなく、ある人の言うとおりの意思表示をしてくれる人を半数確保すればいいのです。すると、けっきょく、1人あるいはごく少数の意見を多数決の形で意志決定してしまうことが可能になります。悪いことに、多数決はその他の意志決定よりも最もマシな方法だとされていますので、文句の言いようがありません。形の上では多くのメンバーの意志なのですが、内実はごく少数の決定を追認しているだけということが多々あります。

国会は機能しているか
国会議事堂

国会も、原則は多数決です。じゅうぶんな審議を尽くして多数決、とのことですが、現状はどうでしょう?

所属している政党の方針に、全党員が従うケースが多いです。個々の議員はそれぞれ意見を持っているはずなのに、自分の意見ではなく、党の方針に従って意思表示をする。だったら、党の方針を決めているのは誰?

その党の所属議員が全員でじゅうぶんにそのテーマを勉強し、議論を尽くした末に出された党の方針なら、いいでしょう。しかし、党首や執行部だけで決めた方針をすべての議員に強制する形もしばしば見られます。党の方針に従って意思表示するだけの議員なら、単なる「数」に過ぎません。意志をもたない人形でもよいのでは?

国会内で多数派を形成した政党や政党グループの幹部だけで国を動かすことができてしまいます。いつも小数でいる政党やグループは、発言することはできても、意志決定にはほとんど意味をなさないことになります。

こういうやり方でもそれなりに国民が豊かで幸せに暮らせているうちは、国会がそれなりに機能していたと言えるでしょう。必ずしも、このような政党主体の意志決定が間違っているわけではありません。

多様性の時代にあっては・・・

しかし、21世紀に入ったあたりから、どうも国の政治が停滞したり、民意を反映していると言えない状況が生じたりするケースがしばしば見られるようになってきました。決められない政治、ころころ変わる総理大臣、不安定な政権、選挙のたびにオセロのコマがひっくり返る・・・

このような政治の不安定は、多くの民主主義国で生じているようです。政治への不信も日本だけでなく様々な国で大きくなっているようです。民主主義でない国でも、旧体制が倒されています。どうも、世界中で政治の行き詰まりが同時進行で進んでいるように見られます。

これが日本だけの特殊な現象なら、いろんな原因を推測できるでしょうが、世界中でとなると、その原因は、個別で具体的なことがらではなく、おそらくパラダイムの転換に求めざるを得ないのではないかと思います。

つまり、国家が主体のパラダイムから、個人が主体のパラダイムへです。

独裁政治や全体主義、そして多数決原理の民主主義が、限界に来ているのではないでしょうか。○か×かで意志決定ができない多様性の時代となったのではないでしょうか。

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