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創造の力シリーズ

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政治

  

3.イデオロギーの時代は終わった

社会主義vs資本主義は過去の話
当時の社会主義国

20世紀後半は、世界は資本主義と社会主義にまっぷたつに分かれて、ずいぶんきな臭い状況が続いていました。右と左あるいは保守と革新という色分けがされていました。政治のみならず、個人の考えや意見まで、右とか左とか色分けされるしまつです。

1991年に社会主義国のボスであったソ連が崩壊すると、社会主義国はドミノ倒し的に崩壊し、中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバが社会主義国として残るのみとなりました。

あれほど「怖ろしい」とされ、共産化を防がねばならないと言われていた「敵」はすっかりなくなってしまいました。中国や北朝鮮も、独裁政権が単なる政治体制としての利用する社会主義であって、周辺国が共産思想を怖れるようなものではないでしょう。

そうなると、資本主義も、わざわざ資本主義という必要もないほど、世界共通のふつうの社会体制となっています。

21世紀に入ってからは、保守と革新、あるいは右と左がそれぞれ何を指すのかがあいまいになり、見えにくくなってきています。軍事力優先が保守で、平和優先が革新、国家優先が保守で、人権優先が革新といった、色分けがなされるように見えますが、なんだかおかしな具合です。

かつての社会主義国は、平和よりも激しく軍事優先で、人権はないに等しく、国家第一でした。だったら、保守と革新が入れ替わったのだろうか?

イデオロギーは二者択一

イデオロギーは、○か×かという選択になりがちです。

「右か左か、どっちやねん?」

「保守か革新か、どっちやねん?」

20世紀はそれでよかったのでしょうが、近年は、それではどうもしっくりきません。集団(国家あるいは社会)優先か、人権優先かという選択は、どちらも現実的ではなさそうです。人権があるためには、人権を認めるような社会が必要です。人権より優先される社会は、誰も望まない社会でしょう。人権と社会は、互いが互いを成り立たせているような関係にあるのではないでしょうか。どちらかを過度に強調するのは現実的でなさそうです。

といった具合に、○か×かで割り切りにくい世の中となってきたようです。

では、昔から言われる「中道」かというと、そうでもありません。現在は、幅広い意見が存在しています。右か左か真ん中かというような「どこか」ではなく、多様性の時代です。

とすると、二者択一を強いるイデオロギーは、過去の遺物と言ってよいでしょう。しかし、かつてイデオロギーとされていた思想が、1つの意見として存在することは自由です。二者択一でなくなったというだけのことです。

中道がつくっていた社会

右でも左でもない、だいたい真ん中付近が中道といわれます。イデオロギーの時代にあっては、右か左かの意見を強く持つ人たちがいる一方、多くの国民は、真ん中あたりにポジションしていました。右と言われることも左と言われることも嫌っていました。

長期間政権を担ってきた20世紀の自民党は、保守、つまり右でありながら、実際にやってきたことは、右でも左でもなく、真ん中付近だったでしょう。ほどよいあたりを、そのときそのときの国の状態におうじて、すこし右に振ったり、すこし左に振ったりしながら、国を経営してきたと思います。だから、国民も、安心しておまかせしてきたのでしょう。

自民党と社会党が右と左を代表しあい、攻め合うのかと言えばそうでもなく、持ちつ持たれつしながら日本は発展してきました。社会党は政権を奪取しようともせず、じっさいに政権交代も起きず、安定した時代が続きました。イデオロギーとは、中道を見いだすためのものではなかっただろうかと、今から振り返ればそう思えます。右とか左とか言っても相対的な概念に過ぎず、今は右がこの辺で左がこの辺だから真ん中はこの辺だろうというような、そういうポジションの確認をしてきたのではないでしょうか。

中道ではなく、「第3の案」
世界

20世紀の終わりに近づくにつれ、左を担ってきた社会党は凋落傾向を強め、では、右の自民党が強くなったかというとそうでもなく、1993年には社会党が惨敗すると同時に自民党も過半数割れし、日本新党の細川護熙を首班とする連立政権が成立し、自民党が初めて野党となりました。社会党は連立政権に参加しましたが、首相を出せないほど弱体化していました。

ここが、イデオロギーの終焉という転換点だったでしょう。ソ連崩壊の2年後です。

しかしこの連立もうまくいかず、1994年、自民党は社会党、新党さきがけと組んで、連立政権を樹立し与党へ返り咲きました。なんと、右と左の合体です。あり得ない事態です。完全にイデオロギーの時代は終焉したと言ってよいでしょう。しかも、社会党から総理大臣がでました。村山総理です。考えられなかったことが現実に起きました。この時、社会党はこれまでの左派的な政策を次々と廃棄し、皮肉なことに、総理大臣を出したことがきっかけとなって、社会党が解党へと向かうことになりました。

当時は、小政党乱立のまま、選挙を経ずに政権のグループ分けがころころ変わり、国民不在の政治混乱期でもありました。

これは、すなわち、社会の反映なのでしょう。二者択一ではなく、多様性の時代へと移り、そもそも政党という存在が意味を失いつつあるといったところでしょう。そしてそれは、今なお続いています。

すると、右と左の真ん中あたり、という政治ではなく、別の枠組みが必要となるはずです。そのヒントが、『7つの習慣』の続編として著された『第3の案』にあるように思います。

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