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創造の力シリーズ

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政治

  

4.多様性が問題解決

悩ましい政治の意志決定

政治とは、国のあり方に関して物事を決めていくことです。それを実行するのは行政ですが、意志決定がちぐはぐだったり、遅かったりすると、行政は停滞したり混乱したりし、私たちの生活に悪い影響が出てしまいます。

強く、速く、適切な意志決定が求められます。

しかし、国民全員が良しとするような決定はまず、あり得ません。ある部分の国民の思いを満たせば、別の方々にはがまんして頂かなくてはなりません。すると、だいたい中道付近がよいのではないかということになるのはもっともでしょう。

弱い立場の人々に多大な配慮をしようとすれば、経済成長がかなわなくなりがちです。だからといって、弱い立場の人々を切り捨てると、社会の耐性が低下します。それなら、経済を進める人にはしっかりがんばって頂き、その余力の一端で、弱い立場の人々を守っていこうというようなところが、落としどころになりそうです。

真ん中はどこ?

イデオロギーの時代の意志決定は、まだそう難しいものではありませんでした。右と左を見据えて真ん中あたりをさがす。二者択一ですが、あっちかこっちかというより、あっちとこっちの真ん中あたりが答えだろうということです。国民も、おおむねそのような意志決定を支持していました。

自民党が長期安定政権を維持し続けたのは、上手に真ん中を見極め続けて来たからこそです。左から見ると、「利権を利用してきたからだ」と見えるようですが、それが一面の真実をもつとしても、国民の思いとかけ離れていては長期間続きません。

なぜ左派が伸びなかったかというと、国民の多くが真ん中あたりを望んでいたからです。真ん中を見えやすくするために、左派は必要な存在だったでしょうが。社会党も、本気で革命や革新を望んでいたとは言い難く、自民党と社会党が共同作業で真ん中あたりを探し続けてきたというところではないでしょうか。

多様性

しかし、20世紀末以降、イデオロギーの時代が終わり、多様性の時代へと移っていくと、「中道」という概念が通用しなくなってきます。すると、意志決定がしづらくなっていきます。

多様性にあっては、どこをとっても「真ん中あたり」ではありません。でも、いまだに、国民は真ん中あたりを探そうとし続けているようです

意志決定の暴走

真ん中がなくなったのに真ん中を探そうとするものだから、政治は大揺れに揺れます。イデオロギーとしての右と左はすでに現実世界ではありません。でも、真ん中を探したいので、何かを右とし、別の何かを左としようとします。

21世紀に台頭してきた新自由主義が右、人々の暮らしに関わる部分を大切にしようというのが左。こんな感じでしょうか。新自由主義は、個人主義的で、規制緩和を求めます。つまり、自由の拡大を求めます。それへのアンチテーゼは、集団や社会が規律や規制を維持し、福祉や教育や雇用が守られていくことを求めます。なんだか変です。現在の右は、イデオロギー時代の右と左のチャンポンです。現在の左も、チャンポンです。

もう、何が右で何が左か、めちゃくちゃです。

しかも、人々の思いは、この両者のいずれかにまとめられるほど単純ではなくなってきています。

真ん中を探そうとすればするほど、右と左が固定されていないため、大きく揺れてしまいます。それが、日本で繰り返される政権の大スイングとなっています。さらに、小政党が乱立するのも、この文脈から生じているのでしょう。

とすると、意志決定は難しい。真ん中がないため、どのように決定しても、暴走となりがちです。政治の安定は、幻となってしまいました。

意志決定から意志創造へ

2005年の郵政選挙のようなシングルイシューでは、現実に存在する多様な問題への意志決定がかないません。国民は当時の自民党に大多数の議席を与えましたが、2年後の参議院選挙では自民党が大敗しています。シングルイシューによる選択が、国民の求めるものではなかったということでしょうか。

2009年には、民主党が歴史的圧勝をおさめ、政権交代を果たしました。実行するのに十分な力が与えられたにもかかわらず、民主党がかかげたマニフェストは、けっきょくほとんどが実行されず、マニフェストで「やらない」といったことを一生懸命やって自滅するという、なんとも不可思議な事態が生じました。それを評する声も、マニフェスト自体が悪かったのだという人もいれば、マニフェストをやらなかったのが悪かったのだという人もいます。

2012年には、民主党が大敗し、自民党が惨敗時より少ない得票数で圧勝するという、不思議な現象が起きました。さらに、国民の多くが求めているとされる脱原発・反消費税を掲げる勢力は凋落あるいは泡沫化というこれまた不思議な現象が起きています。過去に例がないほど小政党が乱立したのも、異常な事態です。

国民は、政治に何を期待しているのでしょうか?

ひとりひとりが求めるものや、思いは、それぞれにあるでしょう。しかし、国民の意思とか、民意とかいう理解の仕方は困難になっているようです。国民は、大多数の議席を与えては次に否定するということを続けています。

今、必要なのは、意志決定ではなく、意志創造とでもいうべきことはないでしょうか。民意なきところに、政治はできません。民意を創造しなければ、進めようがありません。気をつけねば、特定の勢力が民主主義の、すなわち多数決の仕組みを悪用し、国民がどうあっても望まない民意を創りだし、暴走する怖れがないとも言えません。ヒトラーでさえも、民主主義が生みだしたのです。

東京を俯瞰

チャーチルが言うように、民主主義は問題だらけでありながら民主主義以外には採用しようがありません。それは、民主主義の否定ではなく、民主主義を、人類が手塩にかけて育てていくべきものであるということなのではないでしょうか。すでに、あまたの代償を払ってきています。先人たちに感謝しつつ、またひとつ、民主主義を成長させるべき時が来ているのではないでしょうか。

与えられた選択肢を多数決で決定するのではなく、多様な視点を創造し、それらの多様性を俯瞰し、あらたな道を見いだすという作業です。少人数レベルでは、現実にできる話です。国家レベルでは、できないでしょうか? 現在の民主主義に、多様性による創造のオプションを付加することは、現実離れしているでしょうか?

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