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オールジャパン政権を!

21世紀はパラダイムシフト

パラダイムシフトが起きるとか、起きているとか、よく言われます。パラダイムとは、価値観というより、もっと根本的な、あらゆる考えや意見が生じる源とでもいうべき原理のようなものです。

それが変わるとなると、たいへんな出来事です。が、パラダイムとは、語るまでもない大前提なので、ふだん意識することはありません。なので、パラダイムシフトと言っても、何から何へ変わるのか、ピンときにくいのが実情でしょう。

パラダイムシフト

パラダイムシフトが起きると、私たちをとりまく状況のありとあらゆるものが変わるはずです。確かに、現在、ありとあらゆるものが変わりつつあるように見えます。それは、何によって生じているでしょうか? 世界の状況を変えている原因は、何でしょうか?

多くの人が迷うことなく指摘するのは、インターネットでしょう。インターネットによって、世界がつながりつつあります。国境の意味が薄れつつあります。しかし、インターネットの前に、飛行機、船、テレビ、書籍、衛星などを忘れてはいけないでしょう。あらゆる面で、世界が1つになる方向へ向かいつつあります。

パラダイムシフトが生じる問題

パラダイムシフトは、良い面ばかりではありません。古いパラダイムが消えていくので、古いパラダイムから見ると、終末に見えるでしょう。現に、終末論もさかんです。

世界が1つになる前は、世界がバラバラでした。つまり、国家がそれぞれであったわけです。国家が絶大な存在感を持っていました。人々は、国家に人生をゆだね、国家はそれにこたえようとしていました。委ねるということは、依存ですから、思うような答えは返ってきません。人々は試行錯誤を繰り返し、民主主義という仕組みを作り出しました。民主主義は、理想のシステムではありませんでした。最もマシではありますが。

責任

現在のパラダイムシフトは、自分の人生を国家へ委ねる生き方から、自分の人生を自分で生きる生き方への移行ではないでしょうか。

自由を得る代わりに、人生への責任を負わざるを得ませんし、社会へ自主的に参加し貢献することも必要です。不平・不満を言うことはできません。自分の可能性を信じて自ら努力することが求められます。誰かが助けてくれるのを待つという姿勢が通用しにくくなります。

これは、新自由主義といわれる流れの一面を表しているでしょう。新自由主義が怖ろしいものであり、世界を破壊すると感じている人々も多いです。

私たちの願いは

人間にはそれぞれ、様々な思いがあり、欲や煩悩があります。美しい考えや行動を取ることもあれば、自分さえ良ければという思いや行動も取ります。それが人間というものでしょう。多くの人が社会を作るには、人々を縛る何かが必要です。個人個人のバラバラな思惑を調整していく仕組みが必要です。それが集団や組織や国家です。

国家や集団を否定するところの人権は、ほんらいあり得ないはずです。完全な自由としてのユートピアは、あり得ないはずです。しかし、「あり得ないはず」という視点が、国家や集団の暴走をもたらすことになります。人類は、つらい歴史を重ねながら、学んできました。もし、国家に蹂躙されることのない真の人権があり得るならば、人々が自らすすんで利他の心を持つしかないでしょう。強制される利他は人権を損ねます。つまり、国家や集団に尽くすことを強要されるなら、それは人権ではありません。

私たちは、誰かに歪められることなく、自分の人生を生きたいと望んでいますよね? 奴隷になったり、虐待されたり、誰かの言いなりになるような人生を望む人って、いるでしょうか?

自分の人生を生きる

しかし、自分の人生を生きるには、人生や社会に責任を持つということが、どうしても避けられません。それは、たいへん厳しいことなので、避けようとしてきました。人生を他者(国家など)へ委ねようとしてきたのです。委ねれば委ねるほど、自分の人生を生きることから遠ざかってしまいます。それでは、私たち自身の願いを実現できないとだんだん学び、ではどうするのかというと、国家に委ねることを少なくしていくこと、すなわちグローバル化を選択しつつあります。グローバル化とは、国家の存在が弱まることです。現在、私たちの多くは、グローバル化によって起きる問題で苦しんでいます。そして、グローバル化は、一部の人たちに押しつけられたものであるとか、陰謀であるとか、被害者意識を持ちがちです。しかし、現在の世界の流れは、私たち自身の選択でもあるはずです。

人生に責任を持つには

私たち人間は、ぜったいに1人では生きていけませんし、高度な文明を維持しようとするなら、人々の多様性を相乗効果としていかさなければなりません。さらに人類社会を成長させようとするなら、人々が主体的に社会へ参加し、多様性の一端を主体的に担おうとするしかありません。

いままでは、国家がそれを調整してきたのです。国家が調整するなら、人々は、どうしても受け身になってしまいます。

多様性というからには、利害の衝突や好き嫌いや対立があります。それを、どう乗り越えればいいのでしょうか?

たとえば、原発問題について考えてみます。原発推進と、脱原発で、意見が衝突します。原発という対象を見る限り、意見の衝突は解消されません。勝つか負けるかの勝負とならざるを得ないでしょう。ところで、原発推進は、原発が最終目標なのでしょうか? いや、ちがうでしょう。原発を推進することによって、何かを実現するか、何かを手に入れたいはず。脱原発も、脱原発が最終目標ではないはず。両者、自分たちの願いを、一段高いところから見てはいかがでしょう?

人々の幸せと発展、成長を、ともに願っているのではないでしょうか? 自分の利益を追求したいとしても、その利益はどこから来るのでしょうか? 安全・安心を追求したいとしても、その安全・安心は、何によって実現されるのでしょうか?

オールジャパン政権

さて、政治です。もはや、政党は、イデオロギーではありません。数を確保し、多数決をクリアするための手段と化しています。そして、それはもはや国民を幸せにしません。選挙のたびに政権がスイングするのを見れば、明らかです。

全ての政党が、いや、すべての国会議員が、オール与党となることはできないでしょうか?

意見を一致させる必要はありません。一致しないからこそいいのです。意見が違うからこそ、多様性なのです。どんな少数派でも良いです。妥協や談合は禁物です。説得も禁物です。多数決も封印しましょう。決められない政治になる? いえ、創造的な政治になります。

そのためには、争点を超えた、俯瞰する視点が互いに必要です。そもそもどの政党も、どの国会議員も、わが国を発展させ、全ての国民を幸せにするために存在するのではないのですか? そうではない政党や国会議員がありますか? そんなはずはないですよね。だったら、ミッションを共有できるはずです。

世界を救うというミッション

正義とは、何でしょうか? 私たちは、正義を求めたい。でも、歴史をみると、正義は必ずと言っていいほど、逆目にでます。正義を否定するなら、世の末です。私たちは、正義で過ちを繰り返し、そのつど、学んできたはずですね。だったら、正義をこう考えることはできないでしょうか。

「正義とは、正義を求めて改善し続けることである」

固定した正義は、永遠にないのでしょう。だから正義はないのではありません。正義とは、正義を求めて改善し続ける営みなのです。つまり、正義とは、他者へ押しつけるものではなく、謙虚に他者から学び続けることなのです。

とすれば、オールジャパン政権の姿が見えてきませんか?

地球儀

どの政党も、どの国会議員も、このミッションを共有していただきたい。それは、「世界を救う」というミッションです。これより大きな正義はありません。

世界を救うためには、最も謙虚に、最も学び続けなければなりません。しかし、それは妥協や迎合ではありません。成長や発展を創造することなのです。

そうですね。私たち国民も、国会議員や政党におまかせするのではなく、私たち自身が、オールジャパン、いや、オール・ザ・ワールドの生き方をしませんか?

「いや、自分はそんな大それたことはできない。つまらない人間なのだ」って? みんな、そうですよ。だからこそ、世界は美しいのです。

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